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Vol.1966 ジミー・ウォング追悼〜香港の剣劇・功夫映画の大スター
 昭和世代のディープな映画ファンなら誰でも知っている香港功夫映画の大スター、ジミー・ウォング(王羽)が79歳で亡くなりました。若くして亡くなった伝説のブルース・リー(32歳没)とは異なる魅力を持った人で、香港映画界であれこれ手を替え品を替え生き延びたキャリアが素晴らしい。ジミーさんは、誰もがジミーさんと言わなければならない超大物ゆえ、私のコラムなどありきたりの事しか書けませんが半世紀近い付き合いなので私なりに追悼してゆきますね。

 1974年、12歳の私は大人向け映画雑誌キネマ旬報を月2回大塚駅近くの今でも存在する書店で購入していました。前年ブルース・リー主演の『燃えよドラゴン』の大ヒットで、一気に火のついた功夫映画ブーム。日本の映画会社は香港の功夫映画を買い始め、その全ての情報が私の読んでいたキネマ旬報に掲載されました。ブルース・リー主演映画の権利を得るため東宝東和映画が抱き合わせで買わされたのが『片腕ドラゴン』で、この映画の監督、脚本、製作総指揮、そして主演がジミーさんでした。功夫映画だけどなんかブルース・リーとは違うぞ!ほとんどの観客はそう思ったはず。
 続いて『吼えろ!ドラゴン、起て!ジャガー』『戦国水滸伝・嵐を呼ぶ必殺剣』『怒れるドラゴン、不死身の四天王』『ドラゴン武芸帖』『スカイハイ』なるジミーさん主演作が日本のスクリーンを飾りました。1975年にブルース・リー主演作が全て公開されてしまうと日本での功夫映画ブームも去りましたが、物好きな私はそれ以降もジミーさんの名前を見ると映画館に足を運んでました。『片腕ドラゴン』の続編『片腕カンフー対空とぶギロチン』なんて妙なカンフー映画まで観ました。私とジミーさんのスクリーンでの付き合いはここまでです。

 ブルース・リーやジミー・ウォングをはじめとする功夫映画に関する著書や研究本はそれ以降も度々発売されましたので懐かしい気持ちで良く読んだものです。
 2000年代に入りビデオからDVDソフトに時代が移行するとそれまで入手不可能だったジミーさんの古い映画を観る事が出来るようになりました。
 ジミーさんがデビュー当時契約していた香港最大の映画会社ショウ・ブラザーズ時代の剣劇映画『片腕必殺剣』『大刺客』ではジミーさんたった独りで何百人もの悪党を斬りまくり最後は自分も死んでゆく?ヒーロー物というより悲壮感漂う作風で、ある意味これがジミーさん映画の魅力なのかも知れませんね。
 香港映画の剣劇スターであるジミーさんが日本の座頭市映画に招かれ『新座頭市、破れ!唐人剣』では勝新太郎さんと競演して、座頭市に斬られ悲壮感いっぱいに死んでゆきました!
 生前のブルース・リーが主演を断った日本ロケーションのアクション映画『冷面虎』の主演を引き受けたジミーさんは日本の女優、岡田可愛さんと共演。さらにロープウェイからぶら下がるゲリラ撮影をやらかして始末書を書いて香港に逃げ帰ったとか。

 ブルース・リーの後に日本で大スターになったジャッキー・チェンもジミーさんには頭が上がらない。裏社会でのジミー・ウォングのエピソードの数々は皆さん検索してみてください。
 映画の中で壮絶な死を遂げてきたジミーさんが本当に亡くなってしまったなんて凄くさみしいです。《天皇巨匠》と呼ばれた香港映画の大スター、ジミー・ウォングのご冥福をお祈りいたします。

天野 俊哉



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