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OUR MASTER : 佐々木 隆子
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Vol.1945 伝説の喜劇人〜藤山寛美さん
 かつて関西に松竹新喜劇という劇団がありました。私がこの劇団を観ていた頃の座長でスターが藤山寛美さん。
 今や伝説の喜劇人であります。

 私には日刊スポーツ新聞の演劇欄に批評をかいている伯父がおりました。劇団四季や松竹系の舞台に縁があり歌舞伎座・松竹歌劇団(SKD)そして松竹新喜劇のチケットは我が家にも良くまわってきました。大川橋蔵さんや坂東玉三郎さんや藤山寛美さんの入手困難なレアチケットも簡単に頂けたものです。
 小学生の頃だから1970年代初め、伯父の家に遊びに行くと新聞記者である伯父は昼頃起きてきてテレビの前にドーンと腰掛け、出社前にテレビの舞台中継をよく観ていました。ある日小学生の私も一緒に観ていて楽しかったのが藤山寛美さん率いる松竹新喜劇の舞台でした。
 ドリフターズやコント55号の様な子供向けではない大人の笑いに魅力を感じました。早熟やね。

 中学生になり民法テレビで松竹新喜劇の舞台中継のレギュラー番組が始まりました。毎週必ず観るようになりましたが、何故かナマの舞台が観てみたくなり伯父に泣きつきました。1975年夏の事です。
 ついに家族3人で新橋演舞場の《寛美まつり》に出かけました。残念ながらどの様な演目だったのか記憶はありませんが、小島秀哉さんという劇団の二番手の方とのやり取りが絶妙でした。やはりテレビの画面で観るよりもナマの藤山寛美さんは笑えました。ただメインは関西公演で、東京には1年に1度夏の新橋演舞場で公演するだけなのと、劇団で二番手の小島秀哉さんがこの後直ぐに退団してしまってから藤山寛美さんと対等に芝居の出来る人がいなくなり私には物足りなくなってしまいました。この家族3人で観劇した晩は新橋演舞場から歌舞伎座近くまで歩いて両親が戦後10年位の頃にデートの時に食べたインドカレー店に連れてってくれました。これが後年行列店となってしまったナイルです。現在では歌舞伎俳優の皆さんが通う事で超有名なナイルも1975年夏のその晩は我が家の貸し切り状態でした。まだ改装前のボロボロの店内は暗かった。インド人の店主がナイルギーというインドカレーの調味料みたいなものをすすめてきたのが確かこの時でした。生まれて初めてインドカレーを食べた記念日ですね。

 1980年代の後半、大阪にタップダンスの舞台に遠征した時に隆子先生のマネージャーである吉本興業の方に「最近藤山寛美さんはどうされてますか?」と質問すると、「寛美はもうダメです、大阪では誰も見にゆきません!」と。まあ、吉本の人に聞く事でも無いのですけどね。
 それから数年後の1990年に60歳で亡くなりました。亡くなってから自叙伝や評伝の類を片っ端から読みあさりました。
 1960年代に億の借金返済の為に舞台から離れ映画に出演していたエピソードや、先の小島秀哉さんとの確執まで、様々な藤山寛美さんを知ることが出来ました。つい最近、藤山寛美さんのDVD BOXがあったので衝動買いしてしまいました。全盛期の藤山寛美さんの舞台を観るとその笑いと共にこの世にいない両親や伯父とのあれこれを思い出せて、懐かしい気持ちになれます。

 今回は現在の日本では名前すら聞く事のなくなってしまった藤山寛美さんを取り上げました。

天野 俊哉



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