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Vol.1929 もうすぐ生誕100年グロリア・デ・ヘヴン〜MGMの可憐な花?(後編)
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『芸人ホテル』でグロリア・デ・ヘヴンと共演したフランク・シナトラはグロリアに《櫛》というあだ名を付けたそうです。映画の撮影中いつもグロリアが髪をブラッシングしているから、だとか。
1940年代後半そのブラッシングが必要な長いウェーブのかかった髪は残念ながら短くなってしまいました。いくつもの台本にケチをつけて契約先のMGM映画から干されたグロリアは1948年まで4年近く1本も映画に出演しませんでした。
復帰したグロリアは髪型のせいか?理由は分かりませんが何となく地味な印象に。役柄も今ひとつでしたが、共演した俳優達の名前を並べてみるとミュージカル映画界の大スターがズラリ。《グロリア・デ・ヘヴン後編》はそんな大スターを中心にメモってみたいと思います。
《ミッキー・ルーニー》
ミッキーは1930年代のMGM映画の大スターでしたが兵役に就いて人気ガタ落ちに。そんなミッキーとグロリアはアーサー・フリードが製作したミュージカル映画『サマー・ホリデー』で映画にカムバックしました。私は30年前に一度観たきりで、あまり楽しめませんでした。
《レッド・スケルトン》
1940年代MGMの人気コメディアンのレッド・スケルトンが主演した『スケルトンの運ちゃん武勇伝』は大学生の時に恵比寿の上映会で16oプリント版で観ました。あまり笑えないコメディ作品でしたし、グロリアは全く活かされていなかった。
《ドナルド・オコンナー》
1940年代ユニヴァーサル映画の大スターだったドナルド・オコンナー。グロリアがユニヴァーサル映画に貸し出されて出演した『イエス・サー・ザッツ・マイ・ベイビー』はせっかくのミュージカル映画なのにドナルドとのデュエット場面すらありませんでした。
《フレッド・アステア》
ダンスの神様フレッド・アステアがレッド・スケルトンと主演した音楽家の伝記映画『土曜は貴方に』(1950)にゲスト出演したグロリアはアステアの前で名曲“フーズ・ソーリー・ナウ”をしっとりと歌います。
《ジーン・ケリー》
《ジュディ・ガーランド》
『サマー・ストック』(1950)はMGMミュージカルの女王ジュディ・ガーランドの最後のMGM作品。グロリアはジーン・ケリーの恋人役で劇団のわがままなスターの役。やがて劇団を捨ててしまいその代役にジュディが!ジーン・ケリーのダンス・ナンバーが素晴らしいミュージカル映画ですが、グロリアには良い場面がありませんでした。
《ジューン・ヘイヴァー》
《ダン・デイリー》
この1950年あたりにMGM映画との契約は解除したのかも知れません。他の映画会社への出演ばかりです。20世紀FOX映画『アイル・ゲット・バイ』(1950)ではブロンドのジューン・ヘイヴァーと姉妹役に。既製のヒット曲ばかりで構成されてるせいか楽しいミュージカル映画に。グロリアとジューンがゲスト出演のダン・デイリーとタップダンスを踏む場面が最高。
《ジャネット・リー》
《アン・ミラー》
『トゥー・ティケッツ・トゥ・ブロードウェイ』(1951)レヴュー映画の名監督バスビー・バークレーの冴えないミュージカル映画。グロリアもタップ・ダンサーのアン・ミラーも美人女優ジャネット・リーの単なる引き立て役に格下げ。ミュージカル・ナンバーもみんなまとめて1曲というさみしさ。
《トニー・カーティス》
《ジーン・ネルソン》
ユニヴァーサル映画『ソー・ディス・イズ・パリス』(1954)では若手の2枚目俳優トニー・カーティスの恋人役に、グロリアは久しぶりにヒロインのポジションをゲットしました。タップ・ダンサーのジーン・ネルソン振付の凝りに凝ったダンス・ナンバーをメイン・キャストの皆さんが器用にこなしているのが涙ぐましい!
以上の様にグロリア自身は残念な結果になりましたが大スター達と出演した事でグロリアの出演映画の多くはテレビで頻繁に放映され、ビデオになり、DVDになり現在ではYouTube映像が沢山残されています。興味のある方は一度検索してみてくださいね。
今回はグロリア・デ・ヘヴンを取り上げました。
天野 俊哉
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