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Vol.1927 もうすぐ生誕100年グロリア・デ・ヘヴン〜MGMの可憐な花?(前編)
 1925年生まれのエンタテイナーにスポットを当てた生誕シリーズ。今回は1940年代半ばにMGMミュージカルで活躍したグロリア・デ・ヘヴンです。ジューン・アリスンとの姉妹映画で知られる可憐なイメージのグロリアですが、父親がサイレント映画時代からハリウッド映画で監督等スタッフの仕事をしているカーター・デ・ヘヴン。契約にたてついて何年干されても平然としたまま、などグロリアが他の女優さんと大いに異なるのはこうした生まれ育った環境にあるのかも知れません。近年、YouTube映像に残されたハリウッド映画時代以降のグロリアのインタビューを観ると可憐にはほど遠くてズケズケ物言うオバチャンの雰囲気。それは歳をとったからというよりは実はこんなざっくばらんな女性だった事の証明になっていて逆に興味深いです。アメリカで最大の視聴率を誇っていた『ジョニー・カースン・ショー』にゲスト出演した49歳のグロリアにはもう呆れて大笑いしました!普通なら「まあジョニー!あなたの番組に出演出来て嬉しいわ!」と満面に笑み浮かべハグでもするでしょうに、グロリアはジョニー・カースンに軽く挨拶するだけで直ぐに他のゲストと喋り始めてしまうのですからね。

 さて本題にもどりましょうか。
 グロリアの映画デビューがチャールズ・チャップリン監督の映画史上の名作『モダン・タイムス』(1936)。しかも、ヒロインであるポーレット・ゴダードの妹役、オーディションなど受けていないはず。助監督スタッフだったパパにお弁当でも届けに来た所を美少女趣味のチャップリンに見そめられ、急遽エキストラ出演が決まったに違いありません。続けて『チャップリンの独裁者』(1940)にもユダヤ人の子供の一人として出演しました。やがてMGM映画にも出演するようになりジョーン・クロフォードやグレタ・ガルボなど大女優の主演映画に脇役出演をする様になりますが、それだって「ああ、カーターのお嬢さんだね、ちょっとそこに立ってみて!」とパパの友人たちに声をかけられ何となくカメラの前に立たされてしまったに違いありません。

 グロリアが注目されたのが1943年のミュージカル『ベスト・フット・フォーワード』。ブロードウェイで大ヒットしたミュージカルのアーサー・フリード製作によるテクニカラー映画版。陸軍士官学校を舞台にした作品で、主演がルシル・ボール、ハリー・ジェームスと彼の楽団、ウィリアム・ギャクストン、ヴァージニア・ウェイドラー。そしてブロードウェイ版のオリジナル・キャストからジューン・アリスンとナンシー・ウォーカーがスカウトされ出演しました。まだ18歳のグロリアはジューン、ナンシーと組まされ特にミュージカル・ナンバーで大活躍します。“ウィシュ・アイ・メイ”は、オープニングの士官学校の男性達と面会に来た女性達の歌と踊り。グロリアはブルーのスーツにスカートを着て登場、すでにジューン・アリスンと二人でフィーチャーされてます。2人共小柄なので10p以上はありそうな高いハイヒールをはいています。当時絶大な人気を博したトランペッターのハリー・ジェームス楽団をバックにグロリア、ジューン、ナンシーの3人が白いドレスを着て士官の男性達と歌い踊るプロダクション・ナンバー“ザ・スリー・ビーズ”はチャールズ・ウォルターズの振付。グロリアが大人っぽく歌うブルースの部分とダンサーとして登場するスタンリー・ドネンが嬉しい。映画のクレジットでグロリアは8番目ですがセリフも出演場面も多くて目立ちました。

 第二次大戦中のアメリカの兵士慰問用にジョー・パスタナックが製作したのがMGM映画オールスター・キャストによる大作ミュージカル『サウザンズ・チア』(1943)。主演はオペレッタの新星キャスリン・グレイスンとダンシング・スターのジーン・ケリー。グロリアはジューン・アリスン、ヴァージニア・オブライエンとトリオでゲスト出演して“イン・ナ・リトル・スパニッシュ・タウン”をボブ・クロスビー楽団の演奏で歌います。撮影されたのは先の『ベスト・フット・フォーワード』と同じ時期だったようで2人共同じ衣裳を着ています。女性3人を同じ場面に出演しているように見せるジョージ・シドニー監督のカメラ・ワークと合成が楽しい。

 つづく

天野 俊哉



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