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Vol.1919 ディーン・ストックウェル追悼〜シナトラ、ケリーと“錨を上げて”を歌う
 最近ではMGMミュージカルと言ってもピンとこない時代になってきたようですね。そのMGMミュージカルの中でも知名度の高い『錨を上げて』(1945)で大活躍した子役出身のディーン・ストックウェルが亡くなりました。自分の母親とほぼ同い年なんてギョッとしてしまいましたが。

 MGM映画に子役としてグリア・ガースンの映画でデビューしたのが1944年なのですでに8歳だったのですね。翌1945年のミュージカル超大作『錨を上げて』で主役のフランク・シナトラとジーン・ケリーと共演。4日間の休暇をもらって映画の都ハリウッドに上陸した水兵フランクとジーンが街中で出逢うのがパジャマ姿で“錨を上げて”を歌うディーン坊や。ディーン坊やには映画のエキストラをやっているキャスリン・グレイスン扮するスージーおばさんがおり、フランクはたちまち恋に落ちる、という内容。これで140分を引っ張るのがハリウッド映画の凄いところ。チリチリのカーリーヘアがかわいいディーン坊やの為にフランク・シナトラが子守唄を歌う!
 なんて凄い子守唄。
 さらにはジーン・ケリーがアニメーションのねずみのジェリー(トムとジェリー)と踊ってくれる!
 なんて凄いタップダンス。
 自分もこんな少年時代を送りたかった!

 このあとMGMの比較的アットホームな作品には出演するものの、同時期に子役スターだった『家路』のロディ・マクドウェルや『子鹿物語』のクロード・ジャーマン・ジュニアほど主役をはれませんでした。ディーン坊やに良い企画が立てられなかったなんて、こんなところが大国MGMの弱点だったのですね。

 さて、当時のハリウッド映画では他の映画会社に自分のスタジオの専属スターを貸し出すシステムがあり、ディーン坊やにとってはこれがかなりプラスに働きました。先ずは、ユダヤ人問題を取り上げたエリア・カザン監督の『紳士協定』。この作品では自らがユダヤ人と名乗り社会に立ち向かうジャーナリスト、グレゴリー・ペックの息子の役。続いて戦災孤児の問題を取り上げたジョセフ・ロージー監督の『緑色の髪の少年』のタイトル・ロールを演じましたが、内容が内容だけにこちらはヒットしなかったそうです。

 他社で問題作2本に出演したディーン坊やは再び平和なMGM映画会社に戻りました。そして1949年に創立25周年を迎えたMGMの有名なランチ・パーティーにも出席、ニュース映像と記念写真には当時13歳のまだ小柄なディーン坊やが映っております。この時期にMGMと契約していたワーナー映画の大スター、エロール・フリンとディーン坊やが主演した『印度の放浪児』が最高です。ディーン坊やが原題の“キム”を演じましたが、エロール・フリンとのアクション・シーンも痛快で何度観ても楽しめます。

 残念ながらそれ以降も俳優生活を続いていたディーン坊やの映画を私はほとんど観ておりません。たまに再放送される『刑事コロンボ』にゲスト出演して、殺人犯や殺される役を演じるディーン・ストックウェルを観ますが変わり果てた容姿にガッカリしてしまいます。あんなに可愛かったのに!と。

 いまでもフランク・シナトラ、ジーン・ケリーと3人で元気に“錨を上げて”を歌うディーン坊やの姿が目に浮かびます。
 ディーン・ストックウェルのご冥福をお祈りいたします。

天野 俊哉



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