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Vol.1918 もうすぐ生誕100年ジーン・クレイン〜戦後ハリウッド映画の大人気女優B
 若干20歳でハリウッド映画界のトップ女優まで登りつめてしまった我らがジーン・クレインさんの次なる挑戦は何と結婚と出産でした。『ステート・フェア』撮影後の1945年12月に結婚、1947年に第一子を出産したジーンは1948年に20世紀FOX映画会社に復帰しました。その後も出産を繰り返すのでここではもう触れません。

 ミュージカル映画のダンサーとしてFOX映画が契約したのが長身のダン・デイリー。『ユー・ワー・メント・フォー・ミー』(1948)ではジーンの相手役として歌って踊るバンドリーダー役を颯爽と演じました。まだ23歳のジーンは落ち着いた演技で作品を安定させましたが、すっかり勢いを無くしてしまいました。

 ハリウッド映画界で才能溢れる脚本家として知られるジョセフ・L・マンキーウィッツ自らが監督を務めた『3人の妻への手紙』(1949)。リンダ・ダーネル、アン・サザーンと共演したジーンはそれまで彼女に欠けていた表情と表現の豊かさを加える事に成功したようです。マンキーウィッツ監督との相性の良さを考えると、次回作『イヴの総て』(1950)も必ず成功したはずなのに、と思わざるを得ません。

 ハリウッド映画界でタブーとされている人種差別問題に切り込んだ作品がエリア・カザン監督の『ピンキー』(1949)。ジーンは黒人に扮して白人社会に挑む問題作。アカデミー主演女優賞にノミネートされましたが、エセル・バリモアやエセル・ウォーターズとのやり取りの部分が優れていた様です。

 『人生模様』(1952)映画出演と出産の繰り返しゆえ、ジーンの女優としての成長はいつからか止まってしまった様です。そんな中で“これぞジーン・クレイン最大の当たり役”がこのO・ヘンリー短編小説の「賢者の贈り物」。私の中学時代の英語の教科書に登場した有名なエピソードで、かなり甘いお話ながらジーンの表情の豊かさで説得力のある素敵な作品になりました。

 映画デビュー以来20世紀FOX映画がジーン・クレインに望んだ“ガールズ・ネクスト・ドア”のイメージにウンザリしたジーンは1954年にFOX映画を飛び出します。ハリウッド映画界で特異なポジションで人気のあったジェーン・ラッセルがマリリン・モンローと競演した『紳士は金髪がお好き』(1953)の続編『紳士はブルーネット娘と結婚する』(1955)でジーンを相手役に選びました。かなり本格的なミュージカル映画であり、名曲を揃えて、衣裳デザインにお金をかけました。もちろんジーンの歌は吹き替えでしたが、ジャック・コール振付によるダンス・ナンバーを器用にこなしてました。

 1950年代に俳優として再び返り咲いた歌手のフランク・シナトラが主演した『抱擁』(1957)は芸人ジョー・E・ルイスの伝記映画なので歌曲が豊富、歌は当然のことながらフランク・シナトラのみでジーンは演技に集中して作品の質を上げました。シナトラの妻を演じたのがFOX映画でジーンの後輩だったミッチー・ゲイナー、ダンス・ナンバーは見事なのに珍しくミス・キャストでした。ゲイナーが名作ミュージカル映画『南太平洋』に出会うのはこの直ぐ後でした。

 ジーン・クレインのキャリアはハリウッド映画界では特異なものでした。人気女優ゆえ度重なる出産も許されていたのでしょうね。今回コラムの為にかなりの作品をチェック出来たのですが、ジョセフ・L・マンキーウィッツが監督をしてジーンが名優ケイリー・グラントと主演した『ピープル・ウィル・トーク』(1950)だけが見つからなかったのは残念でした。
 1925年生まれのハリウッド女優ジーン・クレインを取り上げました。

天野 俊哉



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