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Vol.1916 もうすぐ生誕100年ジーン・クレイン〜戦後ハリウッド映画の大人気女優@
 ミュージカル映画ファンには『ステート・フェア』(1945)で知られるジーン・クレインがもうすぐ生誕100年を迎えます。美人コンテストを総なめにしてハリウッド映画にスカウトされたジーンですが演技経験は学生演劇のみ、長いこと小柄な美人女優としてのイメージしかないので「このコラムは簡単に片付けてしまおう!」と考えたのが大誤算、スマホで打ち始めるまで何と3ヶ月もかかってしまいました。何故なら20世紀FOX映画でジーンが出演したほとんどの作品がDVD化されているか、もしくはYouTubeで観ることが可能だから、これらを観ない訳にはゆかないですね!

 さて、19歳でハリウッド映画デビューした1944年に出演した3作品からスタート。翌1945年ミュージカル映画『ステート・フェア』では早くも主演、タイトルの前に名前が出る名誉あるトップ・ビリング。1946年に出演した3作品全てがその年に大ヒットしたベスト60位にランクイン。何だか想像していたジーン・クレインのキャリアと違うぞ!これだけ大ヒットを飛ばしてファンレターの数もFOX映画でベティ・グレイブルに次いで第2位の我らがジーンは1947年の1年間全く映画に出演、いや主演していないのです。ここで一度ストップ。

 数少ないジーンのデータには
 離婚歴無し、7人の子持ち!
 うん、興味深い。
 ずっと映画に主演していたのに何時出産したの?
 本来なら無視してしまう事柄なのに今回に限って気になって仕方ない。ついにはタップダンサー仲間でミュージカル・ファンの松本晋一さんを訪ねました。
 「ジーン・クレインてブロンド(髪の色)でしたっけ?」と松本さん。
 何故ブロンドかというと、20世紀FOXの専属女優はマリリン・モンローをはじめミュージカル・スターはブロンドと決まっているからです。もしジーンがブロンドだったら松本さんは《FOXY BLONDES》という洋書を用意してくれたはず。これに対してジーン・ティアニー、リンダ・ダーネル、アン・バクスター、ジーン・クレインらドラマのスターはブロンドでなくブラウン系の事が多かったのです。松本さんは《FOX GIRLS》という別の洋書を出してきてくれました。この素敵な本には15名のスターの簡単なバイオグラフィーが記載されており、私の知りたいジーン・クレインさんプライベート情報も満載でした。

 1945年12月に20歳で勝手に結婚したジーンは母親から勘当された、なるほど。そして第一子出産の1947年以降映画出演と出産を繰り返したようです。ジーンが降板したダン・デイリー主演の『日曜は鶏料理』と『ユア・マイ・エヴリシング』はどちらも作品の質が良かったせいで大ヒットしました。ジーンが主役のイヴ・ハリントンを演じる予定だった名作『イヴの総て』では代役のアン・バクスターがアカデミー主演女優賞を受賞してしまいました。その後もミュージカル映画『我が心に歌えば』はスーザン・ヘイワードに、大作『聖衣』はジーン・シモンズに、ロマンチックなコメディ『愛の泉』はジーン・ピーターズにジーンの役がわたり、当然のことながら彼女達の代表作となりました。ちょっと皮肉です。

 映画出演と出産を繰り返していても映画会社の持つジーン・クレインのイメージは《隣の家の女の子》。いつまでも同じような役柄に飽き飽きして1954年に20世紀FOXとの契約を解除しました。このまま落ちぶれるかと思いきや人気女優のジェーン・ラッセルが製作と主演を兼ねた『紳士はブルーネット娘と結婚する』に誘われたり、こちらも大スターのフランク・シナトラ主演の『抱擁』にヒロインとして誘われたり、30歳をすぎても作品に恵まれました。

 残念ながらこれ以降の作品は観てないので語れませんが、数回にわたり全盛期のジーン・クレインを取り上げてゆきたいと思います。

天野 俊哉



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