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OUR MASTER : 佐々木 隆子
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Vol.1895 ジェーン・パウエル追悼(そのC)
 1949年はMGM映画が創立25周年を迎えたアニヴァーサリー・イヤーでした。20歳になったジェーンはスタジオでの有名なパーティーに参加はしている様ですが記録フィルムは残っていません。ただスターが勢揃いした記念写真にはジンジャー・ロジャースと並んで収まっています(上から2段目右から4人目の黒いドレス)。プライベートでは最初の結婚をしました。主演映画は1本も公開されていません。

『ナンシー・ゴーズ・トゥ・リオ』(1950)
 プロデューサーのジョー・パスタナックがディアナ・ダービンの為に製作した『ホノルル航路』の再映画化。ミュージカル・ナンバーよりも母親役のアン・サザーン、バリー・サリヴァン、ブラジルの爆弾娘カルメン・ミランダ、ルイス・カルハーンらがからむストーリー展開の方が遙かに楽しめます。『ホリデー・イン・メキシコ』から4年も経ち、結婚もしたのに同じような設定で小娘を演じさせられるジェーンは気の毒です。

『トゥー・ウィークス・ウイズ・ラブ』(1950)
 MGM映画においてアーサー・フリード、ジョー・パスタナックと並ぶミュージカルの大プロデューサー、ジャック・カミングスがジェーンを主役にややオールド・ファッションな作品を製作しました。リカルド・モンタルバンのようなラテン系のハンサムな男優と共演出来たのでタンゴを踊ったりようやく小娘ミュージカルからは脱皮出来たようです。バスビー・バークレーが振付を担当したので華やかなミュージカル・ナンバーを期待しましたが小柄で華奢なジェーンがコルセットの衣裳を着せられてしまったのは残念。

『恋愛準決勝戦』(1951)
 1950年にダンスの神様フレッド・アステアと『若草物語』のジューン・アリスンの新作ミュージカルとして製作がスタートしましたが、少ししてジューンのおめでたが発覚して降板。代役のジュディ・ガーランドも降板。MGMのトップ・プロデューサー、アーサー・フリードはこの頃色々アンラッキーだったジェーンをフレッド・アステアの相手役に選びました。ジェーンはアステアと4曲もデュエットしましたが豪華客船の中でジェーンが美しいソプラノで歌い、フレッドと優雅にそしてコミカルに踊る“オープン・ユア・アイズ”が最高に素敵です。
 また、白川希さんと橋本祥さんがイメージした劇中劇のナンバーでのジェーンのリアクションの上手さはベテランのフレッドと互角だと思います。
 この作品は早くから版権が切れていた為、これまでに数え切れない位多くのビデオ、DVD、そしてYouTube映像が出回っています。この機会に皆さまもぜひご覧になってみてください。私が初めてこの映画を観たときの愉快なエピソードはコラムVol.400に。

『リッチ・ヤング・アンド・プリティ』(1951)
 再びジョー・パスタナック製作のミュージカルの主演に。『恋愛準決勝戦』の評判が良かったせいでしょうか?ジェーンが着る衣裳のレベルが一気にアップしました。今回の母親役はフランスの大女優ダニエル・ダリュー、父親役は堅いドラマのイメージしかないウェンデル・コリー、そしてジェーンの恋人役に若手歌手のヴィック・ダモンが選ばれジェーンのパートナーが誕生しました。彼らのロマンチックなデュエット・ナンバーの存在でジェーンの芸域が一気に拡がりました。他にフェルナンド・ラマスが共演しました。これらメイン・キャストがみな器用に歌ってみせるのは驚きでした。巴里を舞台に大人のムード一杯のミュージカル映画となりました。

 つづく

天野 俊哉



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