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Vol.1878 ハリウッド映画の名子役でタップダンサーのジェーン・ウィザース追悼
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1926年に生まれ1930年代から40年代にかけてハリウッド映画で活躍したジェーン・ウィザースが亡くなりました。
幼少期よりタップダンスを学び数々の映画でタップダンスを披露している事からラスティ・フランク女史の名著『TAP』にも貴重なインタビューをのこしていて、ハリウッド映画時代に組んだタップダンスの振付師ニック・カッスルとの仕事に多く触れています。
ジェーンは20世紀FOX映画『輝く瞳』でハリウッドを代表する名子役シャーリー・テンプルと共演して有名になりました。私はこの映画の断片しか観てませんが、お金持ちの娘ジェーンが貧しいテンプルちゃんから彼女が大切にしている人形を取り上げ悪態をつきながら地面に叩きつける!という凄い役を演じたのです。私は10代の時にこの映像を観てからジェーンに敵役のイメージを持ってしまいました。さらに、ジェーンとシャーリー・テンプルがそれぞれの著書で述べた内容に大きな食い違いをみせたので何となくジェーンを避けていました。
やがてジェーンが1930年代後半アメリカの映画館主が選ぶ観客を呼べるスターのベスト10に入る人気者であったことを知ってから急にジェーンの映画を観たくなりましたが現在に至るまで私が観たジェーンの映画は残念ながらたった3本です。
『シューティング・ハイ』(1940)
アメリカでジェーンの人気が絶大だった1940年に20世紀FOXが製作したBランクののんきな西部劇。ジェーンがトップ・ビリング、アメリカで西部劇スターとして人気の高いジーン・オートリーと共演しました。ジェーンの住む西部の街に映画の撮影隊がやって来るお話なのでジョン・ウェイン西部劇の様なドラマっぽさはありません。66分の上映中出ずっぱりのジェーンは常に高いテンションで喋り続けて動き回ります。なるほど、テンプルちゃんよりも人間臭くて面白いキャラクターです。ジェーンの前だと流石のジーン・オートリーも活躍の場がありませんでした。
『ジョニー・ドウボーイ』(1942)
16歳になったジェーンが自分の分身の様なわがままなハリウッド映画スターとそのスターに瓜二つのハウスキーパーの2役を演じます。達者なジェーン向きの題材だと思いました。中盤に大勢の子供達が沢山出て来てタップダンスをはじめ様々な芸を披露するのですが、物凄いドラム・ソロをみせるカール・キッフェという少年は少ししてジミー・ドーシー楽団のドラム奏者になってしまいました。
ジュール・スタインとサミー・カーンの主題歌が軽快な魅力で大ヒット。ニック・カッスルが振付したジェーンとパトリック・ブルックが軍服で踊るタップダンスのデュエットをはじめ軍隊の慰問ショーのアンサンブルが楽しい。リパブリック映画の数少ないミュージカル映画のひとつ。
『ノース・スター』(1943)
第2次世界大戦中にサミュエル・ゴールドウィンが製作した『ノース・スター』でジェーンは名優ウォルター・ヒューストンやアン・バクスターらと堂々の共演をしました。ジェーンはいつものテンションを抑え、年ごろのロシア娘を好演しました。当時、親ソビエト映画として製作されたルイス・マイルストン監督の問題作です。この作品はコズミック出版の『戦争映画DVDBOX』に収録されてますので日本語字幕入りで観ることが出来ます。
出演作は多いのに日本ではほとんど上映されませんでした。ジェーン・ウィザースのご冥福をお祈り致します。
天野 俊哉
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