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OUR MASTER : 佐々木 隆子
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Vol.1845 Y's取材班さん生誕祭@
 淺野康子さんのインスタグラムを見ていたらY's取材班さんが還暦になられたとのご報告がありました。
 おめでたいことです。
 思えば私は取材班さんのタップダンス入門の、それも見学にみえた日からのご縁です。今回は還暦を記念して、削除覚悟で、私だけが知るマル秘エピソードを秘蔵映像から撮った写真と共に皆さまにこっそりお見せしちゃいます!

1990年入門
 取材班さんが初めて蒲田のスタジオに見学に来た日のことを昨日の事の様に覚えています。佐々木隆子先生の代わりに水曜日の子供クラスを見ていた時に取材班さんが背の高い男性と太めの男性の2人を引き連れてスタジオに入って来ました。彼らの手には木刀が握られていたのでてっきり道場破りと勘違いしたものです。後にNHKの朝ドラ『甘辛しゃん』のヒロインになる佐藤夕美子さんなど私にしがみついてブルブル震えていましたっけ。これゃ子供達を守る為に戦うしかないな、と半分諦めていましたが、話してみると意外や外見に似合わず穏やかな方たちなのでホッとしました。木刀は殺陣の稽古の帰りだからだとか。最初は3人で入会したものの太めの男性は早くに脱落してしまいました。隆子先生は背が高くてマッチョなイケメン男性を直ぐに気に入り、開催が近づいていた発表会にその彼と取材班さんを出演させることにしました。

初舞台(1990年5月27日)
 1990年5月27日に大田区のホールで開催された発表会に2人で飛び入り参加しました。取材班さん29歳の誕生日の翌日やん。
 この日10年を迎えたYちゃんがソロを踊り舞台からフェード・アウト、司会の隆子先生の「10年も続くなんて凄いことですよね?」を遮る「エラい!」という声が客席から聞こえてきます。この声の主が取材班さんでした。相方と舞台に上って早速タップダンスのデュエットを始めました。彼らが数か月の間に学んだ少しのステップを自分たちでつなぎ合わせたケンカをイメージした踊りだとか。やたら表情がコワイ!中々ワイルドで楽しいデビュー作品でした。その後、隆子先生から紹介されてインタビューを受けたのです。
 しばらくして取材班さんをタップダンスに誘ったマッチョなイケメン男性は「タップはチマチマしてて俺には合わない」と辞めてしまい、隆子先生はとてもガッカリしていました。

“チャタヌガ・チュー・チュー&カラマズー”(1991年8月18日)
 日本橋三越屋上ステージの『タップダンス・ファミリー・ショー』に早くも蒲田スタジオの大御所フレッド阿部さんと共演しました。私が選曲したニコラス・ブラザーズがテレビ・ショーで歌い踊った“チャタヌガチューチュー&カラマズー”を隆子先生が振付した超ハードな作品です。クラスの仲間達の「いつまで続くかしら?」の心配をよそに仲間が一人辞め二人辞め、一人だけ残った取材班さんが毎週元気にスタジオに通ってくれたのは頼もしかったと記憶しています。

“ホップ・ヘッド”(1992年春)
 1991年の年末から隆子先生は入院してしまい、私がミュージカル『アニー』の指導にスライドしてしまったので、当時の蒲田スタジオ水曜日クラスをチーフで担当していたのが淺野康子さんです。
 クラスで稽古していたデューク・エリントンの“ホップ・ヘッド”は隆子先生晩年の振付作品になります。銀座三越から初めてイベントのオファーが来たので蒲田スタジオの生徒で“ホップ・ヘッド”をセレクトしました。このイベントの打ち合わせをするために先生が入院していた病院を訪ねたのが4月5日、最後の面会になってしまいました。
 さて5月5日当日、取材班さんは何と2度のリハーサルをわざわざ着るものを変えてチャレンジ?おしゃれなのか?踊りは荒削りではありますがタップを学び始めて3年目でこんな込み入った振付をこなすなんてご本人の努力と担当した先生の忍耐としか考えられません。ちなみに私はこの振りを知りません。

天野 俊哉



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