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Vol.1833 もうすぐ生誕100年乙羽信子さん淡島千景さん〜宝塚出身の女優さん
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私世代でいう乙羽信子さんは子供の頃テレビで毎週観ていた『肝っ玉かあさん』や『ありがとう』で歯に衣着せず物をポンポン言う近所のおばさん役のイメージ。片や淡島千景さんは小津安二郎監督作品で「うん、うん、そうよ、そうなのよう」みたいなセリフを原節子さんとやり合ってるイメージ。お二人の出演された映画はあまり観てません。
おいおい、それで生誕コラムか?
皆さまブチ切れ寸前のお顔が目に浮かびます。カタジケナイ!
終戦直後の昭和20年代の宝塚歌劇の月刊誌《歌劇》を眺めると可憐な乙羽信子さんのスチル写真がたくさん!春日野八千代さんの相手役だったのですね。淡島千景さんは日本人離れした容姿でヨーロッパのお姫様役なんかがピッタリ。ほとんどの人が貧乏だった当時の日本でも簡単に大金が手に入るのが映画界、お二人共あっという間に映画会社から引き抜かれてしまいます。歌劇団に反抗して退団するタカラジェンヌに冷たい歌劇団とのやり取りは乙羽さんの《乙羽信子どろんこ半生記》に詳しく記されています。じっくり読むとブローカーみたいな人が言葉巧みに本人や家族に近づいて契約させた流れが良く分かります。
大映映画にスカウトされた乙羽さんには“百万ドルのえくぼ”というキャッチフレーズが付けられますが宝塚みたいにキレイな世界ではないリアルなものに魅力を感じて信頼する新藤兼人監督の独立プロに入りました。やがて妻子ある新藤監督の愛人に、まさにどろんこ人生にどっぷりつかる事に。
淡島千景さんは宝塚で「いつまで自分はこんなキレイな役を演じていられるのか?」と悩んでいた時に映画の世界に進んだ先輩に映画界入りをすすめられたという。当時の松竹映画には小津安二郎監督、木下恵介監督ら優秀な監督がおり淡島さんのマネージャーは「どの監督作品にも出演出来る」という条件をつけて契約することに成功しました。淡島千景さんには『夫婦善哉』という大阪女を演じた代表作があり関西弁を自然に喋ってましたが関東出身ゆえ関西弁にすごく苦労したそうです。映画に出演していた“おちょやん”こと浪花千栄子さんに丁寧に関西弁を教えてもらったそうです。
さて、妻子ある新藤兼人監督の愛人として生きていた乙羽信子さんに親近感を持って陰で応援していたのが大女優の高峰秀子さん。その著書《にんげん蚤の市》にはあまり幸せでなかった時期から幸せになれた晩年まで乙羽さんへの本音が綴られています。同い年であり、共に養女という共通点からずっと気になる存在だった、と高峰さん。有名になるとお金目当てに見知らぬ親戚縁者がゾロゾロ集まってくるという私とは無縁なエピソードに驚きました。
新藤兼人監督と乙羽信子さんコンビの映画は何と44本もあるそうですのでTSUTAYAで借りてこなくては。
新藤監督とのコンビ映画ではありませんが、先日観た『釣りバカ日誌5』(1992年)に、孫の世話をしようと九州から上京してくるハマちゃんのお母さん役で出演されていました。音羽さんがバリバリの宮崎弁で三國連太郎さん演ずるスーさんとやり合うシーンが笑えました。
淡島千景さんに関しては2012年に亡くなる数年前に新宿コマ劇場で宝塚OGの鳳蘭さんを主演に上演していた『狸御殿シリーズ』にゲスト出演されているのをコマ劇場の最前列から拝見した事があります。
和服を着た淡島さんは思ったよりも小柄でした。
セリフもゆっくりゆっくり喋られて劇場全体がその一言一言を聞き逃すまい!とシーンとしていたのが印象的でした。
今回は宝塚歌劇団出身後、長いこと日本映画界で活躍された乙羽信子さんと淡島千景さんを取り上げました。
天野 俊哉
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