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Vol.1831 衣裳はタキシードで
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私達の師匠である佐々木隆子先生はご自分を中心に男性ダンサー2人を従えて踊るスタイルがお気に入りでした。私はスタジオの仕事を始めて直ぐに先輩の佐藤昇先生とバック・ダンサーのポジションに。
何という幸せ者でしょう。
1985年の夏、隆子先生をセンターにした“コットン・クラブ”というステッキを使った大人っぽいナンバーの振付を受けておりました。
同年10月5日に、当時派遣されていた川崎カルチャーセンターの発表会で舞台デビューしました。何の衣裳の持ち合わせが無かった私は佐藤先生から大切なタキシードを貸して頂きましたが、そのタキシードを佐藤先生にお返しして間もなく「天野君もタキシード用意してもらえるかしら?」と隆子先生からのお言葉がありました。それは既にオファーが来ている2つのイベントの為で、ひとつめは10月24日に大阪のホテルのパーティーで、もうひとつは11月4日に日本橋三越屋上ステージのデモンストレーションで“コットン・クラブ”を踊るからとの事でした。
タップダンスの世界に飛び込んで日が浅く、貯金の無かった私は父に借金をして日本橋東急の紳士服売場で10万円のタキシードの上着だけを購入しました。シャツやネクタイやカマーバンドは渋谷地下にあったヤマダで安く揃えました。ズボンは浅草橋のセキネで購入した社交ダンスのズボンを使いまわししました。全部バラバラ!
大阪のイベントの直前に佐藤先生と私は隆子先生から社交ダンスの指導を受ける事に。パーティーのデモンストレーションがあるからです。その稽古は新幹線待ちのプラットホーム、新幹線のトイレ前の広いエリア、ホテルのロビーなどで延々とつづけられました。
大阪の豪華なホテルの会場でのイベントは今でも良く覚えています。デモンストレーションの最初は当時倉形裕代先生が大阪の教室で指導されていた生徒さんとのペアで“42nd Street”を。続いて隆子先生トリオでの“コットン・クラブ”でしたが、その後続いたのが会場に見えてるゴージャスなドレスを着た女性のお客様とのダンス・タイムでした。リード出来るのが隆子先生、佐藤先生そして私の3人だけでしたのでまさにフル回転でした。
両親から教わっていた時期もあるのでどんな演奏でも消化出来たと記憶しています。残念ながらこのイベントは写真も映像も残っておりません。ただし、翌月に行われた日本橋三越屋上ステージのイベントにはテレビのカメラが入った関係で“コットン・クラブ”を踊る姿とタキシードを着て舞台裏で進行スタッフをつとめる自分の姿が残されました(テレビ東京『青春の日本列島』1985年12月7日放送)。
“コットン・クラブ”は翌1986年4月に銀座博品館劇場で上演された『佐々木隆子リサイタル』でも踊らせて頂きました。
1986年年末、隆子先生はオシャレな『すてきなパーティーダンス』という本を土屋書店から出版しましたが、これは「もっと気軽に社交ダンスを楽しもうよ!」という本で、モデルには佐藤先生、倉形先生そして私が選ばれました。初夏の恵比寿スタジオでの丸一日かけての撮影は大変でしたが若かった私達はとても楽しんだものです。隆子先生ご指導の社交ダンスが再び役に立ちました。
10万円のタキシードは現在でも高価な買い物に違いありませんが、短期間のうちにイベントで、パーティーで、舞台で、テレビで、そして書物で着用する事が出来ました。あっという間に元が取れてしまえたので無理してでも買ってよかったと思ってます。
ちなみに《元が取れた》、というのは気持ちの問題だけですので念の為。
天野 俊哉
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