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OUR MASTER : 佐々木 隆子
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Vol.1794 もうすぐ生誕100年アン・ミラー〜ハリウッドが誇る女性タップ・ダンサーC
 アン・ミラーが1940年代に主演していたコロンビア映画のB級ミュージカル映画の製作期間は基本4週間、予算が40万ドルから60万ドル。これがどの程度の物だったのかは見当が付きませんが低予算である事にはかわりありません。

『ジャム・セッション』(1944)
 前年の『レヴェル・ウィズ・ベヴァリー』と同じく有名なスイング・バンドが沢山出演してます。
 チャーリー・バーネット楽団
 ルイ・サッチモ・アームストロング楽団
 アルヴィノ・レイ楽団
 グレン・グレイ楽団
 ジャン・ガーバー楽団
 テディ・パウエル楽団

 歌手のパイド・パイパースそしてリタ・ヘイワースの歌の吹替え専門のナン・ウィンを罪滅ぼしのつもりで出演させているのが痛々しい!右下写真の表記も小さい!
 ハリウッドの映画撮影所を舞台にアンが撮影を見学してまわるという単純な筋です。肝心のアンのタップ・ナンバーはフィナーレに1曲“ヴィクトリー・ポルカ”だけ。
 前半は飛行機の軍需工場でラメの付いた黒のパンタロンの衣裳を着たアンが大勢の女性コーラスと絡みます。工事の火花が散ったり、スモークがたかれたりの画面効果がアステアの『踊らん哉』を思わせます。
 後半は曲名通りに女性はポルカの衣裳、男性はまあ時代色を出して軍服です。アンとペアで踊るのがビル・ショーンですが、照明の明るさで冴えない風貌がはっきりしてしまい残念な結果に!
 ダンスは上手いのに。

『イーディ・ウァズ・ア・レディ』(1945)
 アンのコロンビア映画時代の中でも特異な作品。それはジャック・コールの振付の影響だと思います。ジャック・コールの人生をダンスで綴った伝説の舞台『JACK』(1982年・シアターアプル)のオープニングを飾った階段のナンバーが出てきたのが嬉しかったのと何とジャック・コール本人がアンと絡んでました!また2回出てくるタイトル・ナンバーでは照明の使い方、アンサンブルの踊りが素晴らしいのに加え、アンの歌唱も独特の魅力があってジャック・コールの演出かな、とも思いました。

『イヴ・ニュー・ハー・アップルズ』(1945)
 フランク・キャプラが演出、クローテッド・コルベールとクラーク・ゲイブルが主演した1934年のコロンビア映画『或る夜の出来事』の再映画化がここに来るとはさすがのアンでも驚いたに違いありません。相手役の男優がどことなくゲイブルに似ているのもご愛嬌。ただアンがコルベールを全く意識せず演じきっているのには感心しました。戦争が終わって、兵士慰問のミュージカル映画の需要が一気に無くなり、映画会社はこれからのアン・ミラーの扱いが分からなくなっていたのでしょう。

『恋のブラジル』(1946)
 アンのコロンビア映画の中で唯一日本で劇場公開された作品。主演がイヴリン・キースとキーナン・ウィンという助演クラスのお2人なので上映時間の90分を引っ張れてません。逆に助演のアンはダンス専門で生き生きしております。アンが白いスーツで踊るオープニング・ナンバーはダンサーズのフォーメーションがスマート。中盤の民族ナンバーもジャック・コールの振付が上手いのでアンが最高。時たまステージの後ろからダンサーの背中と客席を写すショットが魅力的。またアンの凄いスピンに客席から拍手が起こるのもハリウッド映画ではあまり見られない演出で気が利いてます。コロンビア映画は意外にステージ場面が良いですね。残念だったのがフィナーレのプロダクション・ナンバーがあまりに平凡で、こんな時こそジャック・コールに演出を含めたエキゾチックなムードの振付をして欲しかった。またカラーの画面で製作して欲しい作品でした。

 アン・ミラーは1946年2月に22歳で結婚したタイミングでコロンビア映画との契約を解除、引退を考えたようですがまさかのお誘いがハリウッド最大の映画会社MGMから来ることに!

 まだまだ続きます。

天野 俊哉



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