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Vol.1772 少女隊ってご存じですか?
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《少年隊の先を越して》
令和のこの時代にその名前を覚えてる人がどれくらいいるのか分かりませんが今回は昭和のアイドル・グループ少女隊を取り上げたいと思います。ジャニーズ事務所が少年隊をデビューさせようとテレビ等にコツコツ出演させていた1984年頃に突如出現したのが少女隊であります。
《少年隊》に対して《少女隊》というグループ名はもう挑戦を飛び越えて嫌がらせですが、昔の芸能界では《加勢大周》という俳優に対して《新加勢大周》とか有り得ない出来事が多かったのですね。
《タップのお稽古を一緒に》
ボンド企画というプロダクションが「30億円かけて少女隊をデビューさせる」というビッグ・プロジェクトが立ち上げられ佐々木隆子先生はタップ・ダンスの指導スタッフに名前を連ねました。1984年の前半でしたか?私達はテレビの特集番組を見て初めて少女隊の存在を知りました。背の高いミホさん、アイドル顔のレイコさん、小柄で可愛らしいチーコさんがメンバーでした。
その頃私や阿部久志さんはまだ隆子先生の蒲田本部スタジオの生徒でしたが、そのクラスにある時から少女隊の3人がレッスンに加わりました。短期間でしたがアイドルが普通のダンス・スタジオに来て我々庶民と肩を並べて稽古するのは驚きでした。3人の内ミホさん、レイコさんはすでに近寄り難い雰囲気でしたが、チーコさんだけはいつもニコニコして愛想も良くて私達受けしてました。
《デビュー》
やがて“Forever”というデビュー曲で1984年の秋に芸能界デビュー。隆子先生指導のタップ・ダンスを披露したのは彼女たちの映画デビュー作『クララ白書』のミュージカル・ナンバーの中ででした。翌1985年の春に中野サンプラザで開催された初めての『少女隊コンサート』には当時の隆子先生のダンサーズが大勢出演して“ウキウキ・ニューヨーク”の曲で少女隊とタップを踏みました。このタップ・ナンバーの最中にフジテレビの『オレたちひょうきん族』の名物コーナー「ひょうきんベストテン」のライブ中継が入り、すもうダンサーズが乱入して少女隊と一緒に踊るというサプライズがありました。一部のスタッフにしか知らされてなかったので踊っていたメンバーは物凄く混乱したそうです!この模様はテレビで放送されたのでビデオが残っています。
《メンバー・チェンジ》
少女隊がデビューして間もなくチーコさんが椎間板ヘルニアになりミホさんとレイコさんの2人での活動が増えました。それでも蒲田のスタジオには3人でやって来てチーコさんも一緒でした。私が見たときのチーコさんはもう歩行がやっとでしたが、クラスの皆にニコニコ挨拶する姿は以前のままでした。やがて活動休止から芸能界を引退してしまいました。
さて、チーコさんの替わりに少女隊に加わったのはトモさんという子でした。ある日、私は隆子先生の代稽古を任されたのですが、その時のトモさんはタップシューズを履いてまだ日が浅く、何も分からない子供が芸能界に放り出された様な感じでした。大変だったのは彼女が全くやる気を見せない事でしたが、隆子先生の“スロー・バック”のステップを全くの初心者が覚えるのはかなり大変だったはずです。また、まだ若くスパルタ式で手加減しない私の指導ははっきり言って彼女には向きませんでした。私は数回で外されました。
《トモさんの大変身?》
NHK日曜日夜6時の人気歌番組『レッツゴー・ヤング』の後番組『ヤングステージ101』に司会者として起用されたのは当時はタップ・ダンサーだった天宮良さんでした。《タップ・キッズ》なるやたら背の高い男性タップ・ダンサーがずらっとレギュラー出演していたのは今や伝説です。
1986年のある回に少女隊が出演して“もっとチャールストン”という新曲を披露しました。少女隊はパンプスでしたがあちらこちらでタップのステップを踏んでいましたが、私がトモさんに指導したのがまさにこれでした。
無表情ながらステップはキチンと踏んでるしダンスは他の二人よりも切れが良かった。なんだこれ?と嬉しく思いました。
さらに驚かされたのがフジテレビの人気番組『笑っていいとも』のテレフォン・ショッキングのコーナーに少女隊からトモさん1人が単独で登場したのです。誰からの紹介とかは分からず呆気にとられた私ですが、トモさんがタモリさん相手に日常の流行り言葉や友達の話をペラペラ喋り、それがタモリさんと会場の観客に馬鹿ウケしたのです。この子はお人形さんみたいに可愛い衣裳を着たり、ハキハキ返事したり、笑顔で挨拶するアイドルのタイプではなかった事に初めて気付きました。
私は少女隊をそれ以来みておりません。
《事務所の倒産》
隆子先生とボンド企画の関係は原宿のジャニーズ・ショップの隣に1991年設立された芸能ダンス・スクールの講師として続きました。1992年の4月に隆子先生が亡くなってからも橋爪さんと私が引き続き派遣されていましたが、忘れもしない同年9月初旬の稽古日に原宿のスクールに行くとガラス張りの事務所の部屋の中には黒い電話だけが残されて、前の週まで存在した机や椅子をはじめとする家財道具は全て消えていました。夜逃げだったのでしょうか?ボンド企画は倒産してしまいました。天国の隆子先生はこれをどの様に眺めたのでしょうか。
天野 俊哉
《少女隊トリビア》
・ミホさんとレイコさんは淺野先生と同じ逗子の進学塾に通っていた。
・チーコさんに代わって加入したトモさんはイリュージョニスト初代引田天功氏の娘さん。
・福山雅治さんは少女隊のバックバンドのギタリストを目指して長崎から上京した。
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