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Vol.1757 もうすぐ生誕100年ピーター・ローフォード〜MGM映画の貴公子
 イギリス出身で1940年代のMGM映画で活躍した俳優のピーター・ローフォードを取り上げます。背が高くて、品があって、ハンサムですが私などはゲジゲジ眉毛がかなり気になります。
 ピーターを語る上でジョン・F・ケネディ大統領、歌手のフランク・シナトラ、女優のマリリン・モンローの3人を外す事は出来ませんが、今回はあえてそれらを無視してハリウッド時代に限定したいと思います。

 第二次世界大戦中のアメリカでは俳優の多くが兵役に就いており、特に若い男優不足は深刻な問題でした。
 そんな中、イギリス出身のハンサム・ガイのピーターは20歳でハリウッド最大の映画会社MGMと契約しました。フランチョット・トーン主演の戦争映画『Pilot No.5』にはまだあどけなさが残る脇役時代のピーターを確認できます。続くアイリーン・ダン主演の大作『ドーヴァーの白い崖』にピーターは出番は少ないけれど大変重要な役で出演しました。映画のラストでクローズ・アップで映されるピーターの演技が感動的でした。
 問題なのはこの後MGMと契約の10年間、ピーターにはこうした役柄が全く来なくなります。というのも会社が20代のピーターに求めたのが常に笑顔で、健康的で、悩みがない溌剌とした男性だったのです。人生の辛さ、死に直面して苦悩する役柄には無縁でした。ではMGMの主演スター時代のピーターに触れてみたいと思います。

『ドリアン・グレイの肖像』
 オスカー・ワイルド原作の古典作品の映画化。ドリアン役には貴公子然としたピーターがピッタリと思われましたが、無名の新人に主役をもって行かれました。結果ヒロイン、ドナ・リードの恋人役に格下げされ人畜無害な演技に終始しました。

『ラッシーの息子』
 タイトルより上に置かれる初のトップ・ビリングでしたが、実はハリウッドきっての名犬ラッシーの相手役でした。映画の頭でラッシーの息子ラディがピーターの靴下をかじり、ボール遊びで家中を散らかし、洗濯物を汚し、女性のスカートを下げる!いたずらっ子ぶりが可愛いかったです。ピーターは犬嫌いらしくラッシーとのコミュニケーションは感じられず。

『下町天国』
 1940年代最大のポピュラー歌手フランク・シナトラとMGMの歌姫キャスリン・グレイスン主演のミュージカル。ジュール・スタイン&サミー・カーンの音楽が素晴らしいのに、白黒画面が作品のトーンを下げているのが残念。シナトラ、グレイスン、芸達者なジミー・デュランテに囲まれたピーター。もはや出番無しかと思われましたが、意外にもピアノを弾きながら歌いジルバを踊るナンバー“Whose Baby are You”が用意され、テンポの落ちる作品の終盤を盛り上げました。

『グッド・ニュース』
 1927年にブロードウェイで上演されたカレッジ・ミュージカルの映画化。MGM最高のスタッフによるミュージカル大作。人気ナンバーワンのアメリカンボーイのヴァン・ジョンソンがオファーを断り、意外にもイギリス人のピーターが演じる事に。評伝にはミュージカル出演を怖れたピーターがスタッフから逃げ回わるエピソードが残されていて笑える。ジューン・アリスンとのデュエット、男性グループとの中庭のナンバー、フィナーレのプロダクション・ナンバーのいづれも楽しくてピーターが健闘しています。

『イースター・パレード』
 『グッド・ニュース』に続くMGMミュージカル大作。主演のジュディ・ガーランドとフレッド・アステアがアーヴィング・バーリンの名曲を歌い踊る。ピーターはタップ・ダンサーのアン・ミラーと共に作品をサポートします。雨の中をジュディとデュエットする“A Fella With An Umbrella”がキュートな味を出しています。

『あなたと島に』
 泳ぐ大スター、エスター・ウィリアムズ主演のまたもミュージカル。映画は大ヒットしたらしいのですが、かなり酷い脚本で歌いも踊りもしないピーターが気の毒過ぎる。泳ぎもあまり上手くないし。最盛期のMGM撮影所の撮影風景が見られるのだけが貴重な作品。

『若草物語』
 MGM創立25周年記念作品のひとつ。オルコット女史の名作をMGMが誇る4人の若手女優で映画化。ジューン・アリスンのジョー、エリザベス・テイラーのエイミー、ジャネット・リーのメグ、マーガレット・オブライエンのベスの何れも素敵だ。ピーターは南北戦争時代の衣裳を格好良く着こなして作品に華を添えました。ハリウッド最大のスタジオであるMGMがこのアニヴァーサリー・イヤーを境に崩れてしまうなんて。

『赤きダニューブ』
 戦後のハリウッドが盛んに製作したのが反共産主義映画でした。ミュージカルばかり創っていたジョージ・シドニー監督の野心作。髭をたくわえたピーターはウォルター・ピジョン、エセル・バリモア、アンジェラ・ランズベリー、ルイス・カルハーンら演技派に囲まれ、やっとやりがいのある役柄に恵まれました。
 が、今回コラムの為に映画を観ると若手ジャネット・リーとの場面に無表情で演じるピーターに唖然としてしまい、評伝を読み返すとジャネット・リー自身も撮影中その様に感じていたとか。

『恋愛準決勝戦』
 1950年代に入りピーターには映画のオファーがグッと減ってしまいました。監督やキャストが次々と変わる不運なスタートを切ったフレッド・アステア主演のミュージカル。今日ではアステアのダンス・ナンバーが魅力的なファンには堪らない作品です。ピーターがアステアの妹役を演じる可愛いジェーン・パウエルとデュエットするナンバー“Every Night At Seven”は完成した映画からはカットされましたが、現在アメリカ発売の正規ルートのDVDにはこのカット・ナンバーが収録されています。

 ピーターがMGMから契約を解除されたのが1953年ですからまだ30歳でした。
 演技に対する熱意みたいなものは薄かったピーターですが、地を生かしたプレイボーイ役や体を使ったアクション系には向いていた様です。ピーターの映画スターとして最大のミステイクはイアン・フレミング原作のスパイ小説『007』シリーズの映画化を1958年の企画の時点で断ってしまった事でしょう。ジェームズ・ボンド役と1974年のMGM創立50周年記念映画『ザッツ・エンタテインメント』に始まる往年のハリウッド・スターの回顧ブームでピーター・ローフォードは61歳で亡くまるまでもう少し恵まれた晩年をおくれたはず、と私は思っております。

 ピーター・ローフォードの何がどう不幸だったのかは是非皆さまが検索してみて下さいね。

天野 俊哉



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