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Vol.1752 戸塚スタジオそして岸部シローさん
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第99代内閣総理大臣が誕生した9月のある日、戸塚スタジオに向かう横須賀線の車内。ボーッと外を眺めていると電車のドアの窓の広告に目がゆきました。写真のモデルさんは宝塚歌劇団花組トップスター柚香光さんだった!前の晩には三浦春馬さん主演のドラマにタカラジェンヌの娘役さんがレギュラー出演していましたし、宝塚はメディアへの露出を増やしてきたようですね。純粋無垢な宝塚ワールドから一歩でも足を踏み出すとえらいことが待ち受けているのに劇団側の無防備さが気になります。
ザ・タイガースの元メンバーでマルチタレントの岸部シロー(四郎)さんが71歳の若さで亡くなりました。お兄さんが俳優の岸部一徳さん。
私はこのコラムで何回も「ザ・タイガースの、沢田研二さんの大ファンだけど、眼鏡をかけたシローは認めない」みたいな発言をしてきたので、私にシローさんを追悼する資格などありませんが、朝のニュースの追悼場面で流れたザ・タイガースの解散コンサートでソロで歌う“ラネーニア”(だったかな?)という歌を静かに歌うシローさんに驚きました!そしてシローさんが一徳さんに誘われてザ・タイガースみたいな超人気のグループに入ってしまい戸惑っていたのでは?という長年の疑問もとけました。もちろんシローさんはそんな発言をしていませんが私は今でもそう思ってます。ソロを歌う歌声はもうフォークソングの世界でしたし、凄く綺麗な透き通った声でした。メッセージ性のある歌を歌うべきだった?これではグループの方向性には合わない。プロダクションはその才能を何故見抜けなかったのだろうか?それとも見抜いていた上で「売れれば結果オーライ」とでも思っていたのでしょうか?「ギターが弾けないから」とタンバリンを持たされた!しかも「リズム感も悪いから」と、持たされたタンバリンには音が鳴らないようにガムテープが貼ってあった!なんて裏話にも納得。何となく負のイメージの強い方でしたが才能には恵まれていたようです。
当時のスターやアイドルはタブーとされていた眼鏡&関西弁を活かしてマルチに活躍されたシローさんは、現在のKinkiKidsや関ジャニ∞にも通じる時代の先駆者だったのかもしれません。岸部シローさんのご冥福をお祈りいたします。
さ、戸塚スタジオに到着しました。ヨイショッと重いシャッターを上げきると出てきました!お待ちかね、大日果里画伯の可愛い可愛いポスターが。A3サイズに拡大印刷されて、しかも湿気でヘナヘナにならないようにご丁寧にラミネートまでされてドアに貼ってありました。もちろん教室内に原画も貼ってあります。
大画伯のミニポスターと関口明夫画伯の名画を眺めているうちに生徒の姿が。
ひと仕事の後、この日は8ヶ月ぶりに川崎に寄りました。
お腹が空いたので川崎モアーズ7階のレストラン&カフェへ。モアーズのこんな上階に来るのは初めてかも。たいがい3階のBOOKOFF止まりですからね。
和洋中のお店に脇目も振らず、タイ&インド料理メラに飛び込んでチキンティッカ・セットを食べました。
そのあと大森、有楽町に寄ってから品川に仕事に行きました。鉄道旅行番組『ぶらり途中下車の旅』のような移動の多いスケジュールでしたが楽しい1日でした。
天野 俊哉
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