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Vol.1704 もうすぐ生誕98年ジャニス・ペイジ〜ライバルはドリス・デイ?
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1922年生まれのジャニス・ペイジは今もアメリカに在住しているミュージカル女優さんです。
10代から歌手として活動していたジャニスは、第二次大戦中ハリウッドの兵隊向けカフェ(ハリウッド・キャンティーン)でスカウトされ、そのカフェを舞台にしたミュージカル映画『ハリウッド玉手箱』(1944)でデビューするというラッキーなスタートをきり、そのままワーナー映画と契約しました。ただし、歌手としての実力がありながらも順風満帆とはゆきません。ワーナー映画には既にジョーン・レスリーという歌って踊れるスター女優がおりましたので、ミュージカル映画が企画されてもジャニスには中々出番がまわってきませんでした。さらに1940年代後半のワーナーでは本格的なミュージカル映画を製作するよりも中堅のデニス・モーガンやジャック・カースンが主演する軽いミュージカル・コメディの製作の方が盛んでした。彼等が主演する『タイム・プレイス・アンド・ア・ガール』『王子と運ちゃん』などにジャニスが出演しても3枚目のジャック・カースンや太ったオジサン俳優S・Z・サコールの恋人役としてお笑い担当ばかりでした。
ツラいぜジャニス!
《石の上にも三年》
それでも1948年にはA級のミュージカル映画『洋上のロマンス』でジャック・カースンとジャニスがトップ・ビリングとして主演する事に。監督は『カサブランカ』のマイケル・カーティス。やがて製作が始まると劇中で歌われる“イッツ・マジック”を始めとする素敵な歌曲のほとんどをジャニスより格下の新人女優が歌う事実を知らされます。その格下女優こそが昨年亡くなった歌手のドリス・デイであります。実は映画会社とマイケル・カーティス監督は最初から“ワーナー映画の新しいスター女優”としてドリス・デイを売り出す予定だったのです。
ツラいぜジャニス!
ワーナー映画との専属契約を終えたジャニスが次に目指したのが何とブロードウェイの舞台。1954年、ようやく歌手としての実力が認められジョン・レイトと主演したのが『パジャマ・ゲーム』でした。ベテランのジョージ・アボットや若手振付師だったボブ・フォッシが名を連ねるこのミュージカルは大ヒットを記録、さらにトニー賞まで受賞しました。
ヤったぜジャニス!
大ロングランの後、ハリウッドが『パジャマ・ゲーム』(1957)として映画化する事が決まり、しかもジャニスの古巣ワーナー映画が権利を獲得したのです。ブロードウェイ・ミュージカルの映画化でいつも揉めるのがキャスティングです。主演男優のジョン・レイトは同じ役のまま映画でも主演しましたが、主演女優ジャニスの役にキャスティングされたのはワーナー映画のスター、またもドリス・デイでした。
ツラいぜジャニス!
ドリス・デイならば世界で安定した興行収入を見込めるので仕方ありません。
ジャニスが納得したのか?自宅の花瓶や硝子を割りまくったのか?私は知りませんがムカツクのが普通ですよね。
ここで終わったらジャニス・ペイジもよくある“ハリウッドの生け贄女優”で終わったはずですが、運命の女神はジャニスを見捨てなかった!MGMがフレッド・アステア主演で製作するブロードウェイ・ミュージカルの映画化『絹の靴下』(1957)にお誘いが来たのです!もちろんヒロインではありませんがダンスの神様アステアとの共演、しかもデュエット・ナンバーまであるのです。2つもあるジャニスをメインにしたナンバーを観てブロードウェイの舞台を経たジャニスの位置付けが良く理解できました。アステアとのデュエットも最初からチグハグなスタイルを想定した振付(名手ハーメス・パン)なのも幸いして大いに楽しめました。ジャニスも今では《フレッド・アステアの歴代ダンス・パートナーのひとり》として記憶されるわけだし良かった?と私は信じてます。
今回ここに載せたジャニス・ペイジの『パジャマ・ゲーム』→『絹の靴下』の流れはもしかしたら全く逆で、『絹の靴下』の出演を優先して→『パジャマ・ゲーム』を泣く泣く諦めた?のかも知れません。あまり調べてないので間違っていたら何方かお知らせ下さいね。
100歳のお誕生日までにハリウッドで出演した映画を全部観ておきますね。
天野 俊哉
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