|
|
| | |
|
|
|
|
| | |
|
Vol.1699 もうすぐ生誕100年ナンシー・ウォーカー
|
|
1922年5月生まれのナンシー・ウォーカーはブロードウェイのミュージカルの舞台からハリウッド映画の世界へ、再びブロードウェイに戻り、さらにテレビの世界へ、という特殊なキャリアを送ったアメリカの女性エンタテイナーです。あえて女優と言わなかったのは、ナンシーの芸風があまりにも固定され過ぎていて幅広い活躍が出来なかった?と私が思っているからです。そう、ナンシーはいつも怒った様などっしりした雰囲気、両腕を腰にあてています。目線はこの時代には珍しくカメラを睨んでいます。歩くときは肩で風を切る感じ、腕を大きくふりながらです。うまく表現出来ませんがミュージカル・ナンバーでも男性パートナーの胸や頭を思いきり叩いたり、という振り付けばかりが記憶に残ってます。
ナンシーは1941年のブロードウェイ・ミュージカル『ベスト・フット・フォーワード』で舞台デビュー。振付を映画入りする前のジーン・ケリーが担当しました。大ヒットによりMGMで映画化。ナンシーはもう一人の共演者ジューン・アリスンと共にハリウッド版でも主演することになりました。映画の『ベスト・フット・フォーワード』(1943)には当時のアメリカで最高の人気を誇っていたバンド・リーダーのハリー・ジェームズが出演、ナンシーとハリーの摩訶不思議なデュエット“Alive and Kickin”がセッティングされました。もちろん歌うのはナンシーですが、先のナンシー・スタイルが全開なのです。普通に歌わせて踊らせてはもらえませんでした。最後はハリーに突き飛ばされドラムセットに尻餅を。
続いてミッキー・ルーニーとジュディ・ガーランド主演の『ガール・クレイジー』(1943)にジュディの従姉妹役で出演しましたが、ナンシーを生かしたミュージカル・ナンバーは全くありませんでした。オープニングのミッキー・ルーニーをいたぶるミュージカル・ナンバー“Treat Me Rouge”もナンシーではなく、ジューン・アリスンが歌うことになったり、ナンシーはMGMで早くも挫折を味わいます。
続いてジョージ・マーフィーとジニー・シムズが主演したミュージカル大作『ブロードウェイ・リズム』(1944)にベン・ブルーとコメディ・リリーフを担当。台詞も出番も多く、さらにトミー・ドーシーと彼の楽団の演奏でベン・ブルーとコミカルなミュージカル・ナンバー“Milkman Keep Those Bottles Quiet”を歌い踊りましたが、ナンシーはやはり先のナンシースタイル全開で、最後は牛乳屋を演じたベン・ブルーの頭に牛乳瓶をぶちまけます!なんという乱暴な振りでしょう!
MGM映画との契約に嫌気をさしたであろうナンシーに救いの手を差しのべたのがブロードウェイの名演出家ジョージ・アボットでした。レナード・バーンスタインが音楽、ジェローム・ロビンスが振付、ベティ・コムデンとアドルフ・グリーンが脚本を担当する若手ばかりのミュージカル『オン・ザ・タウン』(1944)の主要キャストにナンシーをキャスティングしたのです。と、言ってもナンシーがハリウッド映画で演じてきたキャラクターと同じものでしたが。タクシーの女性運転手役で進歩的なニューヨークのキャリア・ウーマンを魅力的に演じて話題を独占しました。大ヒットを記録した事からブロードウェイの名士に返り咲いたナンシーの次の作品がジョージ・アボットとジェローム・ロビンスが再びタッグを組んだ『ルック・マア・アイム・ダンシング』(1948)で、ナンシーの熱演が話題になりました。『オン・ザ・タウン』は『踊る大紐育』として1949年にMGMで映画化されましたが、ナンシーをはじめとするブロードウェイのオリジナル・キャストは誰一人キャスティングされませんでした。やはりハリウッド映画とナンシーは相性が悪かった様ですね。
その後ナンシーは活躍の場をテレビに移し自身のショーや人気ドラマの出演でブロードウェイの名士ぶりを見せました。1976年には“刑事コロンボ”のピーター・フォーク、“クルーゾー警部”のピーター・セラーズ、及び往年のハリウッド・スターらがたくさん主演したニール・サイモン原作の『名探偵登場』にナンシーも名前を連ねてました。口と耳の不自由なメイドの役で楽しい演技を見せてましたし、貫禄もありました。
1980年代に入るとヴィレッジ・ピープルが主演したミュージカル映画『ミュージック・ミュージック』で初めて監督業に進出したり常に活動的でした。
今回はブロードウェイ出身の女性エンタテイナー、ナンシー・ウォーカーを取り上げました。
天野 俊哉
|
|
|
|
|
|
| | |
|
|
|