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OUR MASTER : 佐々木 隆子
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Vol.1599 もうすぐ生誕100年ヴェラ・ラルストン〜スケート選手からハリウッド女優に
 新元号の令和になってもまだまだ続く《もうすぐ生誕シリーズ》。しかも記念すべき初回に登場するのがヴェラ・ラルストン?
 「だ、だれですか?それ」
 皆さまのぶちギレるお顔が目に浮かびます。ハハハ。
 ヴェラはキャリアだけみれば凄い方であります。
@オリンピック選手
 チェコスロバキアの裕福な家庭で育ったヴェラは1930年代をスケート選手として過ごし、1936年のオリンピックに出場しましたが、結果は17位でしたので、参加する事に意義がある程度でした。ちなみに、この大会で優勝したのが後にハリウッド女優になったノルウェー出身のソニア・ヘニー。

Aアドルフ・ヒトラーとひと悶着
 10代の若さで氷上を華麗に舞うヴェラをナチス・ドイツのアドルフ・ヒトラー総統が絶賛するも「あんたなんて嫌いよ!」みたいな事を言ったとか言わなかったとか。このすぐ後ヴェラはアメリカに亡命しましたが、総統の怒りがチェコスロバキア侵攻の引き金になったのかも知れません。私の勝手な解釈ですが。

Bハリウッド女優
 ハリウッド女優を目指すヴェラには凄いライバルがいました。
 そう、ソニア・ヘニーさん。先のオリンピックの優勝者ですな。同じヨーロッパ出身、同じオリンピック選手出身のヴェラに対してハリウッドの映画会社は
 「ソニア・ヘニーは二人もいらん!」
と言ったとか言わなかったとか。
 それでもヒトラー総統が目を光らせている故郷チェコスロバキアには戻れないヴェラは、仕方なくハリウッドでもB級のポジションであるリパブリック映画と契約したのです。フィギュアスケート選手出身の美人という位置付けから数本のスケートミュージカルに脇役出演のち、1944年の『Lake Placid Serenade』というスケート・ミュージカル映画大作では遂に主役の座を。続いて西部劇の大スター、ジョン・ウェインと『ダコタ荒原』と堂々の主演を。
 そのうち、リパブリック映画のスタジオ内にはヴェラ専用のスケートリンクまで建設されたそうな。
 何か話がうますぎますねぇ?
 そう、ヴェラにぞっこんのパトロンが現れたのです!
 それが寄りによってリパブリック映画会社の社長ハーバート・J・イエーツだったから大変な騒ぎに。騒ぎ出したのがリパブリック映画の株主たちでした。
 「ヴェラ・ラルストンの映画はさっぱり収益を上げなかった。彼女は大柄で、スケートをやっても優美に見えなかった!」
 しかしイエーツ社長は彼女の人気の無さを無視しながらもジョン・ウェイン主演の『ケンタッキー魂』の様な製作費の高い映画を出演させ続けたのです。

C映画会社社長夫人
 ヴェラはリパブリック映画会社のイエーツ社長と1952年に結婚しましたが、社長夫人に付き合わされるのにウンザリした大スター、ジョン・ウェインはリパブリック映画との契約を破棄してしまったとか。
 1966年にイエーツ社長が死去し、遺産の半分の500万ドル(当時の為替レートで約18億円)を相続したヴェラが、その後どの様な人生を歩んだのかは残念ながら分かりません。

 それにしてもかなり荒唐無稽なこのヴェラ・ラルストンの人生って、なぜ伝記映画にならなかったのでしょうかね?

天野 俊哉



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