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Vol.1571 もうすぐ生誕100年コンスタンス・ムーア〜摩訶不思議なそのキャリア
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コンスタンス・ムーアは1940年代のハリウッド映画界に於ける歌って踊れてタップが踏める美人女優なのですが、日本ではほとんどの作品が公開されず認知度は限りなくゼロに近い方です。
10代でユニヴァーサル映画と契約したコンスタンスは、人気アメコミの実写版『バック・ロジャース』シリーズのヒロインとして知られてますが残念ながら私は観てません。高校生の時に観た伝説のコメディアン、W・C・フィールズの『あきれたサーカス』にも主演しているのに全く記憶になく、わずかに歌手のフランク・シナトラのデビュー作として知られる『Las Vegas Nights』(1941)でのコンスタンスが存在感ありでした。と言うのも、トミー・ドーシー楽団の演奏でシナトラが名曲“I'll Never smile Again”を歌うのですが、途中から客席で歌を聴いているコンスタンスのアップと台詞になり、大切なシナトラの歌を邪魔してしまうからです。
さて、普通ならこのままダラダラと終わるはずですが、どうした事か22歳のコンスタンスは舞台に、しかもブロードウェイに、しかもブロードウェイ・ミュージカルの帝王レイ・ボルジャー主演の『By Jupiter』でレイ・ボルジャーと共演することに!
なんじゃそりゃあ!
音楽リチャード・ロジャース&ロレンツ・ハート最後のコンビ作品として知られるこのミュージカルは、1942年6月3日に開幕、427回もロングラン上演されました。重木昭信氏の『ブロードウェイ・ミュージカル事典』によると主演のレイ・ボルジャーが(第二次大戦中の)兵士慰問の旅に出るためやむ無く終演となったそうです。
ブロードウェイで箔を付けたコンスタンスは、ジーグフェルド・フォーリーズの舞台から映画界に入り、人気を不動のものとした大スターのエディ・カンターに誘われ1944年のRKO映画『Show Business』でカンター、ジョージ・マーフィ、ジョーン・デイビスと共演することに。当時の大ヒット曲“It Had to be You”をテーマにした中々見応えのある作品で、コンスタンスはジョージ・マーフィとタップのデュエットをしたり記憶に残る楽しいダンス・ナンバーをこなしました。続いて『Delightfully Dangerous』(1944)では、MGM映画会社に入る前のジェーン・パウエルとダブル主演。バーレスクの女王役を堂々と演じました。コンスタンスの美貌がジェーンの存在を霞めてしまうほどでした。
その後、ハリウッドでは小さなリパブリック映画会社と主演女優として契約。私は3作品しか観てませんが、どれもリパブリック映画での大作ミュージカルとして製作されているので見応えがあります。
『Atlantis City』(1944)
ポール・ホワイトマン楽団とルイ・“サッチモ”・アームストロング楽団がゲスト出演。サッチモの楽団演奏に絡むのが黒人歌手のドロシー・ダンドリッジとピアノとタップ・ダンスのバック&バブルズ。ミュージカル・ナンバーが豪華すぎてどんなお話か覚えてません。
『Earl Carroll Vanities』(1944)
『Earl Carroll Sketchbook』(1945)
両作品共にシアター・レストランのオーナー、アール・キャロルのショーを題材にしたミュージカル。
人気スイング・バンドのウディ・ハーマン楽団がゲスト出演する『Vanities』にはリリアン&マリオというブギウギとタップの上手いコンビがゲスト出演しコンスタンスと絡み華やかなダンスを披露する。サミー・リーの振付がリパブリック映画には勿体ない位素晴らしい。『Sketchbook』にはあの生意気そうなタップ・ダンサー、ジョニー・コイが出演しているのにコンスタンスとの絡みが無くて残念。ニック・カッスルが振付したミュージカル・ナンバーが人気音楽家コンビ、ジュール・スタイン&サミー・カーンの心地好い音楽と共に記憶に残ります。
リパブリック映画でせっかくの地位を築いたコンスタンスですが、1947年に27歳で映画界を引退してしまいました。若くしての引退でしたが、彼女の功績はハリウッド・ウォーク・オブ・フェームにその名が刻まれていることで証明されています。ハリウッドでは珍しく離婚歴も無く、幸せな結婚生活を全うしました。
今回は摩訶不思議なキャリアのスター、コンスタンス・ムーアを取り上げました。
天野 俊哉
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