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Vol.1570 もうすぐ生誕100年ビリー・ハロップ〜永遠の不良少年
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「もうすぐ生誕100年シリーズって、まだ続いているの?」
皆さまの呆れたお顔が目に浮かびます。
まあまあ。
今回から1920年生まれの芸能人を取り上げてゆきましょう。
先日ロバート・デ・ニーロ主演の名作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』を見ていたら、デ・ニーロの少年時代を演じた10代の俳優スコット・ティラーがニューヨークの貧民街で次第にのしあがってゆく主人公を魅力的に演じていました。そうそう、 ジェニファー・コネリー演じるデボラという少女に憧れてましたね。ハンチングを被った姿が往年の不良少年役のスターだったビリー・ハロップにとても似ていました。
デ・ニーロの映画より半世紀前、シドニー・キングスリー原作の舞台劇『デッド・エンド』が大ヒットし、直ぐにハリウッドで1937年に映画化されました。劇中に出てくる不良少年グループのリーダー格に選ばれたのが我らがビリー・ハロップでした。ビリーは他の少年たちと違って品があり、背が高くて、ハンサムだった。その後、彼らはまとめてワーナー・ブラザーズ映画に拾われ《デッド・エンド・キッズ》として活動する事に。『汚れた顔の天使』(1938)でキッズと共演した1930年代の大スター、ジェームズ・キャグニーによると、「連中はワーナー・スタジオでかなり幅をきかせていた」そうなので、「俺は撮影初日にガツンと思い知らせてやった!」そうな。
ビリーはキッズのリーダーとして『Little Tough Guy』(1938)等で活躍した後、単独でワーナーの同格スターと共演するようになりました。それが後の大スター、ハンフリー・ボガートでした。10代のビリーと30代のボギーが同格とは笑えますが、ハリウッドなんてそんなもの。2人が共演した犯罪映画『You Can't Get Away with Murder』(1939)を観ると、2人は揃って登場するのにラスト・シーンで死んでゆくのはビリーの方でした。
若くてハンサムなビリーでしたが20歳を過ぎても不良少年役からの脱皮が中々出来ませんでした。そんなビリーがジョニー・マーサーの名曲から映画になったミュージカル・ドラマの『Blues in the Night』(1941)にキャスティングされました。アメリカの深夜劇場で放映された時にコックリしながら観ました。ビリーはワーナーのスター女優プリシラ・レインが演じる歌手と共に活動する楽団員役でドラム奏者の役でした。せっかく主要キャストのひとりだったのですが、舞台の名女優ベティ・フィールドや俳優時代のエリア・カザンらのくせ者に囲まれ手も足も出ない状態に。記憶にも残りませんでした。エリア・カザンは後年ビリーと同じ様な不良少年のイメージのジェームス・ディーンを『エデンの東』(1955)で演出する事になりますね。
その後のビリーがどうなったのか?私は知らないのです。アシカラズ。
今回はハリウッド映画の不良少年スター、ビリー・ハロップを取り上げました。
天野 俊哉
《ビリー・ハロップ トリビア》
晩年のインタビューによると、ビリーの結婚歴は4回。
最初の妻、ヘレン・タッパーと1946年に結婚するも、翌年1947年に離婚。
1948年のバレンタインデーにバーバラ・フーンと再婚。10年後の1958年に離婚。
1960年の3回目の結婚相手は、多発性硬化症を患っていたスザンヌ・ロー。彼女の世話をするために看護技術を学んだビリーは、なんと正看護師の資格を取得し、カリフォルニア州サンタモニカのセントジョンズ病院に勤める。
スザンヌとは7年後の1967年に離婚。
同僚の看護師(名前未公表)との4回目の結婚は、相手のDVに耐え切れず間もなく破綻した。
後にビリーは2番目の元妻バーバラと再会。結婚は懲りたのか、籍は入れずに同居する道を選ぶ。
看護師の傍ら、テレビ番組『All in the Family』にタクシードライバー役でレギュラー出演するなどして二人の生活を支えた。
1976年、心臓発作により56歳でこの世を去る。
彼の生涯を映画化したら、ドラマチックでけっこうイケる、かもしれない。
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