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Vol.1546 グロリア・ジーン追悼〜日本では誰も知らないハリウッド映画の少女歌手
 1940年代のハリウッド映画で活躍した歌手で女優のグロリア・ジーンが8月に92歳で亡くなっていた!というニュースをつい最近知りました。現在、グロリア・ジーンを調べようとするとスタバみたいにチェーン展開しているコーヒー店の情報が皆さまの目の前にズラッと並ぶはずです。
 残念ながら日本で公開されたグロリアの映画は戦前1939年の『青い制服』“The Under Pup”と戦後1947年の『悩まし女王』“Copacabana”位ですので日本では彼女の記録はほとんど残っていません。

 オペレッタ映画の名プロデューサー、ジョー・パスタナック製作でグロリアが『青い制服』で映画デビューしたのが13歳の時、続いて大スターのビング・クロスビーやW・C・フィールズと共演したり前途洋々には見えましたが、彼女が契約したユニヴァーサル映画には既に5歳年長の少女歌手ディアナ・ダービンがいたため、会社の方針でディアナよりも格下のB級映画に追いやられてしまいます。
 気の毒なグロリア!

 グロリアはソプラノ歌手でクラシック曲が向いていた為、世界が戦争に巻き込まれてゆく1940年頃では彼女そのものが空回りしていたのですね。しかもユニヴァーサルのB級ミュージカル映画にはグロリアと同世代の達者なスターがゴロゴロしていました。
 ドナルド・オコンナー
 グレース・マクドナルド
 ペギー・ライアン
 レイ・マローン
 Jive Jacks &Jills

など、彼等は歌に踊りにタップダンスにアクロバット何でもこなせたのです。
 よって派手なミュージカル・ナンバーが始まるとわれらがグロリアは壁の華となりニコニコ眺めるだけ!
 タップダンスくらい覚えてしまえば良かったのに。
 気の毒なグロリア!

 先輩歌手ディアナ・ダービンの人気に陰りが出てきた1943年、ユニヴァーサル映画は大作『オペラの怪人』“Phantom of the Opera”を企画します。「もうすぐ17歳だからヒロイン役は私のものよ!」と言ったかどうかは知りませんが、グロリアにチャンス到来、と思いきやたった2歳年長のスザンナ・フォスターなる歌手が他の映画会社からやって来てヒロイン役を奪った!
 気の毒なグロリア!

 終戦が見えてきた1945年、人気はミュージカル映画から犯罪もののノワール映画に移り変わり、ユニヴァーサル映画ではディアナ・ダービンに続いてグロリアにもノワール映画を企画します。作品は『Destiny』で盲目のヒロインに危機が及ぶ、後年のオードリー・ヘプバーン主演の『暗くなるまで待って』を思わせる名作になるはずが会社の方針でB級作品として製作されてしまったそうです。
 気の毒なグロリア!

 戦後はユニヴァーサル映画や他の映画会社の作品に、やがてテレビで歌うようになりました。
 今回の訃報を受け、自宅にあるグロリア・ジーンの映画を探したら『悩まし女王』以外のほとんどの作品DVDが出てきました。
 これらはアメリカのミュージカル映画コレクターから購入したもので、アメリカにはグロリア・ジーンのファンがまだ沢山いるようで、ある作品と共にグロリアがテレビ・ショーで歌った映像をわざわざ編集して送ってくれる人までいました。
 また、グロリア本人も晩年までホームページを持っていて映画やテレビでの活躍をYouTube等で閲覧出来るようにしていましたし、CDやDVDの販売もしていました。グロリアがタップダンス・チームのニコラス・ブラザーズのハロルドと共演した1944年の『Reckless Age』というミュージカルだけが中々手に入らないので直接グロリアのサイトから購入しようと思っていた矢先なので残念です。

 92年の生涯のほんの30年位しか芸能界にはいなかったようで、私が言うほどハリウッド映画時代が苦痛では無かったのかも知れませんね。グロリア・ジーンのご冥福をお祈りいたします。

天野 俊哉



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