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Vol.1515 バート・レイノルズ追悼にかえて
 久しぶりに秋葉原の電気街側に降りて散策をしました。なぜ電気街側と書いたかと言うと反対側の昭和通りには毎週降り立っているからです。電気街と言っても石丸電気はいつの間にか消えているし、私がよく通ったDVDショップ等もほとんどが閉店してしまいました。しかも道を歩いてる人の半数以上は中国をはじめとするアジアからの旅行者で、道を歩いていても日本語なんて聞こえてきません。

 DVD商品が充実しているトレーダーという店で懐かしいテレビ・ドラマ『柔道一直線』のDVD BOXを見つけました。私が子供の頃に流行ったスポ根ものの名作です。定価¥30000だったものが中古なのに¥27000で売られていて全く安くなっていないのでビックリです。後でネット販売をチェックしたら最低で¥55000以上もするので、私が目にした商品はまだ安いものだったんですね。何でこんなに高価なんだろう?
 桜木健一さん扮する主人公に柔道を指導する鬼の様な師匠を演じた高松英郎さんと宝塚駅前のホテルのエレベーターに乗り合わせた事があります。途中階から混んでる箱内に「すみません」と言いながら乗られてきた時、「あっ、車周作だ!(柔道一直線での高松さんの役名)」と直ぐに分かりました。低くて渋い声でした。背広をきて背筋の伸びた紳士でした。高松さんは、このあと少しして亡くなられましたので、サインでも貰っておけば良かったな、と後悔してます。

 で、今回のお話は『柔道一直線』でも、桜木健一さんでも、高松英郎さんでも無くて、先日亡くなったアメリカの映画俳優バート・レイノルズの事であります。
 1970〜80年代のハリウッドで大変人気のあった男性スターです。お髭と笑顔とマッチョな体が魅力でアメリカ中の女性にモテモテだったとか。私もかなりの主演作品を観てますが、その多くがアクション映画やコメディ映画でした。『デキシー・ダンス・キングス』や『ラッキー・レディ』等、当時は「バート・レイノルズが出ている映画なら間違いなく面白い」と思って映画館に通ってました。

 バート最盛期の70年代の映画雑誌で、アメリカの女性雑誌でバートがヌードになったとか、年上のジャズ歌手ダイナ・ショアと一時恋人同士だったとか、聞こえてくるのはその類いのニュースばかりでした。
 日本の映画評論家淀川長治さんがハリウッドでバートに会った時、「あんたの笑顔見てるとダグラス・フェアバンクス思い出すねぇ」と誉めると「淀川さん、僕はダグラス・フェアバンクスの大ファンなんですよ!」と大変喜んでくれた、なんて微笑ましいエピソードを淀川さんがラジオで話してました。ダグラス・フェアバンクスはサイレント映画時代のアクション映画の大スターでした。また、バートには日本では劇場公開されませんでしたが、全編コール・ポーターの音楽を使った『At Long Last Love』というミュージカル映画に主演した事があります。映画雑誌で紹介記事をよく読んでましたが、未だ観る機会が無くて残念です。

 さて、バート・レイノルズの追悼にたった一本でも彼の映画を観たい!と思っていた私は先ほどの秋葉原の店トレイダーでバート・レイノルズの代表作とも言えるロバート・アルドリッチ監督の『ロンゲスト・ヤード』とオールスター・キャストの『キャノン・ボール2』を見つけました!
 私は『ロンゲスト・ヤード』を学校帰りに今は無き大塚名画座で大笑いしながら観たものです。実に男臭いアクション・コメディで野郎どもに囲まれたバートが生き生きしてました。
 もう一方の『キャノン・ボール2』では、スーザン・アントンをはじめ沢山の美女やフランク・シナトラ、サミー・デイヴィスJr.、ディーン・マーティン、ジャッキー・チェンら錚々たる大スターたちに囲まれたバートは主演の貫禄十分で輝いていました。

 芸術作品には無縁でしたがニヤッとした笑顔が魅力のバート・レイノルズはハリウッド映画界が生んだ最後のスターのひとりだった様な気がします。
 バート・レイノルズのご冥福をお祈りいたします。

天野 俊哉



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