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Vol.1495 宝塚の月刊誌『歌劇』100周年とある想いで
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宝塚歌劇団発行の月刊誌『歌劇』がこの8月で100周年を迎えました(写真左は第壱號)。
今でこそ、劇場をはじめ隣接するキャトルレーブ、そして全国の中規模以上の書店ならば必ず1〜2冊は置いてある『歌劇』ですが、私が宝塚歌劇を観始めた36年前の1982年頃は入手するのにかなり苦労したものです。
実家のある亀有駅前にドーンと存在した不動書店で、たった1冊置いてあった『歌劇』誌(この書店では1冊しか置かない事を後で知りました)を男子大学生の私が手にするのはかなり恥ずかしかった、という記憶があります。まだ舞台を観ていなくて、日曜日の朝早くフジテレビで放送されている舞台の編集版を観ているだけでしたので、情報源として『歌劇』誌は必要不可欠なものでした。特に新作公演の演出家がキャストを集めて作品内容を説明する《座談会》のコーナーにはまり、現在にいたってます。また、宝塚のショーやレヴューでは多い時には5〜6名の振付師が必ず絡んでいたので、タップ・ダンス以外のモダン・バレエ、クラシック・バレエ、ジャズ・ダンス等のダンスを見て勉強し、吸収するにはもってこいの舞台でした。宝塚の舞台を通して喜多弘、羽山紀代美、山田卓、名倉加代子、家城比呂志、小井戸秀宅、アキコ・カンダ、岡正躬、宅原浩一(敬称略)etc.という素晴らしい振付の先生方のお名前と、その作品を知る事が出来ました。
最初に観た宝塚の舞台が榛名由梨さん率いる月組公演
『あしびきの山の雫に』
『ジョリー・シャポー』
でした。
大地真央さんと黒木瞳さんの若手コンビがほとんど主役みたいな変わった公演でした。たまたま黒木さんが私と同い年だったので、それ以降彼女に注目をしたものです。『歌劇』誌にいまでもある人気コーナー《高声低声》は歌劇ファンの劇評等がそのまま掲載されるこわいページです。今と違って文字も小さく、ページ数も多くて、何より娘役へのパッシングが凄かった!その矛先の全てが黒木瞳さんでした。
雪組の遥くららさんや花組の若葉ひろみさんには一言もないのに黒木さんには集中砲火でしたね。
どの文章からも「お前の存在自体が間違ってるのよ!」みたいな嫌悪感が漂っていました。大地真央さんの熱烈なファンが若くて可愛い黒木さんに嫉妬していたのでしょうか?
今でこそトップ娘役さんへの拍手は多いですが、銀矯に出てきた黒木さんへの拍手は皆無でしたし、最前列から後ろまでズラーッと座る大地さんファンの厳しい威嚇に黒木さんがひきつっているのを銀矯近くの席で感じた事が何度もありましたっけ。まあ、こうしたパッシングがあったからこそ、退団後に今日まで芸能界で生き延びる事が出来たのでしょう。現在では宝塚スターのOGとしてナンバーワンのお一人ですしね。
また、この公演は私の師である隆子先生とご一緒できた唯一の宝塚公演になりました。それまでは『ベルばら』等の厚化粧と大袈裟な演技のイメージから宝塚を食わず嫌いの隆子先生でしたが、レヴュー『ジョリー・シャポー』のスピーディーな展開と衣裳の魅力を見て頂きたくてお誘いしたのです。当時の私は単なる大学生でしたので、女性の先生をお誘いするなんて今思えば随分大胆な行動ですよね。でも、素敵なダンス場面や衣裳が出てくると凄く興奮されて楽しんで下さいました。私はこの日のレヴューをカセット・テープに録音していたので、そんな隆子先生の声も一緒に録音されています。
すっかり宝塚を見直された隆子先生はその後もよく劇場に足を運ばれたそうです。また後年、宝塚の雪組トップ・スターだった汀夏子さんのリサイタル『招待夢』でタップ・ダンスの振付を担当する事になるので、よいタイミングで宝塚をお見せできたな、と満足しております。
話は飛びましたが、私はこうした『歌劇』誌をためることなく処分してきましたが、Book Off等で1冊¥100で販売されているとついつい懐かしくなって買ってしまうのです。
馬鹿みたいですね。
活字ばなれが進み、書籍類の廃刊が加速するなか、100年にも渡ってスタイルを変えずに発行し続ける宝塚の月刊誌『歌劇』は見事ですね。
おめでとうございます!
天野 俊哉
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