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OUR MASTER : 佐々木 隆子
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Vol.1489 もうすぐ生誕100年ジーン・キャグニー〜お兄さんはハリウッドの大スター
 先日、NHK-BSテレビで《ブロードウェイの父》と呼ばれたジョージ・M・コーハン(写真上から2番目)の伝記映画『ヤンキー・ドゥードル・ダンディ』が放映されたのでビックリしました。
 1910年代から30年代にかけて、ブロードウェイの舞台でミュージカルの音楽を作詞・作曲し、脚本を書き、演出をし、さらに主演までこなしたマルチタレントのコーハン。舞台一杯に星条旗を並べて愛国的な歌を歌う作風で一世を風靡しました。
 1940年代初頭、病に倒れたコーハンは「ぜひ生きてるうちに自分の伝記映画を観てみたい」とハリウッドに売り込みを始めました。先ずは、ダンスの神様フレッド・アステアに打診するも「愛国的なスタイルは自分に向かない」と断られ、つづくパラマウント映画からも同様に断られてしまいました。
 その頃、超右寄りな題材を探していた1930年代のアメリカで最も人気の高かった映画スターのジェームズ・キャグニーとプロデューサーの実弟ウィリアム・キャグニーがこの題材に飛びつきました。
 「キャグニーなんて悪役のギャング・スターじゃないのか?」と難色を示したコーハンでしたが、かつてヴォードビリアンとして舞台でタップを踏んでいたキャリアをキャグニー側から伝えられ、ついに納得したコーハン。
 『カサブランカ』等の名作を世に送ったワーナー映画の強力なスタッフを揃え製作に乗り出したのが大作『ヤンキー・ドゥードル・ダンディ』。
 主要キャストの《四人のコーハン・ファミリー》の父親役には名優ウォルター・ヒューストン、母親役にはローズマリー・デ・キャンプ、長男ジョージ役にはジェームズ・キャグニーがキャスティングされましたが、ジョージの妹役だけは空席のままでした(写真上から4番目は実際のコーハン兄妹)。
 映画が製作された1942年当時、キャグニー家にはジーンというジェームズとは20歳も離れた若い妹がおり、舞台で踊っておりました。プロデューサーのウィリアムは「コーハン・ファミリーの妹役に本物の妹ジーンを使ってみないか?」と兄のジェームズに提案。
 そしてここに今回のコラムの主人公であるジーン・キャグニーが登場するのであります。
 ながーい!
 すみません。
 でもこれらの出来事を知らないと全然面白くないのデスヨ、このコラムは。
 強面の兄のジェームズを少しだけ柔らかくした様なジーンのルックスはハリウッド映画界では残念ながら不美人のランクでしたが、何せプロデューサーとハリウッドきっての大スターの妹なのでワーナーのスタッフも全力投球しました。
 ドラマの演出を担当したマイケル・カーティスは「ジーンを美人に撮れ」とカメラマンに命令、ダンス・ナンバーでも「必ずジムとツーショットで撮れ」と命令を。やたら出番が多くて目立つジーンでした。ただ計算外だったのが常に同じ出番の俳優のウォルター・ヒューストンとローズマリー・デ・キャンプが見事なショーマンぶりで、ミュージカル・ナンバーでことごとくジーンを食いに出るのでした。
 また、伝記だから仕方ないのでしょうが「母親と妹(つまりジーン)が父親よりも先に亡くなりました!」とジェームズのナレーションが流れるだけでジーンは急に退場させられてしまいました。
 映画は大ヒットし、ジェームズ・キャグニーはこの作品で1942年のアカデミー主演男優賞を受賞しました。キャグニーはタップダンスを踏んでアカデミー賞を貰った唯一のスターとして記憶されます。

 ジーン・キャグニーはその後ブロードウェイの舞台にもチャレンジしますが、何れも不発に終わっています。ジェームズ・キャグニーの妹というだけでは厳しいブロードウェイの舞台は通用しなかった。
 ではハリウッド映画界でなら?
 その後、兄の七光りでジェームズ・キャグニー主演の3作品に出演しましたが、ウィリアム・サローヤン原作『君が人生の時』(1948)でのジーンが良かった。ダンサーのふりをする娼婦の役で名優達と渡り合っていました。
 兄のもとを離れた1950年にミッキー・ルーニーと主演した『流砂』ではフィルム・ノワールと呼ばれる犯罪映画でジーンも新境地を開拓したかに見えましたが、ルーニーをはじめピーター・ローレら癖のある名優に場面をさらわれっぱなしで残念な結果に。
 続くリチャード・ウィドマーク、マリリン・モンロー、アン・バンクロフトら当時の若手俳優と共演した『ノックは無用』では重要ですが役名も無いようなチョイ役でした。

 1970年代初頭のアメリカン・フィルム・インスティテュートの『ジェームズ・キャグニー受賞式』で久々に顔を見せていたジーンはジェームズ・キャグニー一家や自分の家族に囲まれ幸せそうでした。
 ジーンは1984年に65歳で亡くなりましたが、兄のジェームズ・キャグニーは85歳で存命中でした。キャグニー兄妹は皮肉にもジョージ・M・コーハン兄妹と同じ運命になってしまいました。

 今回はどんな時でも《ジェームズ・キャグニーの妹》として紹介されてしまう気の毒な女優ジーン・キャグニーを取り上げました。

天野 俊哉



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