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Vol.1453 もうすぐ生誕100年ディック・ヘイムズ〜最強のバラード歌手
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1940年代に、低いバリトンの声でバラード歌手としてはフランク・シナトラのライバルだった歌手のディック・ヘイムズが生誕100年を迎えます。
私が初めて映画の都ハリウッドに行った1980年の夏、ハリウッド大通りに敷き詰められた名誉あるウォーク・オブ・フェームに、1960年の音楽分野に続いてラジオ分野で20年ぶりにディックが仲間入りするという事で、大通りには垂れ幕が掛けられ、セレモニーが行われていました。ただし、ディック本人はその年の初めに62才の若さで亡くなっていたのですが。
私が頻繁にディックの歌声を聴いたり、映画を観たり出来るのはそれから少ししてからでした。
歌手としてのディックは、まずビッグ・バンドの専属歌手からスタート。
ハリー・ジェームス楽団
トミー・ドーシー楽団
ベニー・グッドマン楽団
という当時一番人気のあった楽団に所属しました。
ジェームス楽団とドーシー楽団には、人気絶頂のフランク・シナトラの後釜としての入団でした。最高のラブ・バラードを歌っていたフランク・シナトラのレパートリーを引き継ぎ、歌わされた経験が非常にプラスに働いたようです。
魅力的なバラード歌手ではありましたが、「スイング出来ない歌手」と批判された事も多かった様です。
私はディックがハリー・ジェームス楽団時代に歌ったスインギーな“Aurora”を振付して若き日の淺野康子さんとデュエットした事があります。
また、トミー・ドーシー楽団の専属歌手時代には、MGMミュージカル『デュバリーは貴婦人』にジョー・スタフォードらと出演しました。この映画でのディックは、コーラス・グループであるパイド・パイパースの一員としても歌っており、バラードをはじめ、スインギーなナンバーも見事にこなしておりました。
私はディックとパイド・パイパースがムーディーに歌い、ドーシー楽団がホットに演奏したコール・ポーターの名曲“Do l Love You”が大好きで大好きで、その曲を自分のタップ・ソロに使用した事があります。そのバラードのパートの振りが難しくて、松本晋一さんに振付を助けて頂いたものです。可能ならば残されたタップ人生でもう一度踊ってみたい曲であります。
1940年代にはフランク・シナトラのライバルとまで言われたディックが今では忘れ去られた最大の理由は、やはり映画界での不発と実生活でのトラブルでしょう。
1944年に20世紀FOX映画会社の専属になりますが、ミュージカルにおいてFOXはブロンド女優の天下であり、男優はあくまで添え物でした。それでもロジャース&ハマーシュタインの名作『ステート・フェア』は名曲だらけであり、シャイな役柄のディックは俳優としても良かった!
また、FOXミュージカルの女王ベティ・グレイブルと共演した『Diamond Horse shoe』からは、“The More I See You”“I Wish I Knew”という大ヒット曲が2曲も生まれました。ただ、どの作品においても役柄が単調で、歌わなければ何の存在感もありませんでした。観ていてとても気の毒でした。
後年、FOXよりもはるかに格下の映画会社で出演した『St. Benny The Dip』みたいな金庫破りのドラマで逆に落ちぶれた良い味を出していました。
人気女優リタ・ヘイワースと結婚していた事や、税金問題に巻き込まれたプライベートな話題には詳しくありません。
今回は1940年代にバラード歌手として人気の高かったディック・ヘイムズを取り上げました。
天野 俊哉
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