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Vol.1418 ジョン・ギャビン追悼〜ハリウッドの遅すぎた二枚目俳優
 私が毎晩テレビの深夜劇場を観ていた頃は、ロック・ハドソン、トニー・カーティス、バート・ランカスター、ジェフ・チャンドラーなどのハリウッド・スターの主演作品が良く登場しました。何れもスターらしくキラキラ輝いてましたが、ハンサムなのに何となく地味で静かなイメージだったのが先日亡くなったジョン・ギャビンでした。

 初めてジョン・ギャビンの名前を知ったのが1960年代の映画雑誌の広告写真で、女優スーザン・ヘイワードとジョンが抱き合ったスチルでした。14歳の子供が何を見ているんじゃ!と叱られてしまいそうな写真でした。その作品『裏街』は、確か年上の女性との情事みたいな話でしたが、映画そのものを観たのはずっと後の事です。

 背が高くてハンサムなジョンは、ユニヴァーサル映画の新人スターとして1958年『愛する時と死する時』で映画デビューしました。当初は映画の裏方を希望していましたが、スタジオはハンサムな彼を見逃さなかった!
 ただし、レマルク原作の一兵士の休暇を描いた悲恋物語は、新人のジョンには難しかったと思います。表情に変化が無さすぎた?130分という長い時間を淡々と演じていました。
 次回作『悲しみは空の彼方に』の相手役がハリウッドを代表するスキャンダル女優ラナ・ターナーだったのがジョンの不運でした。この映画の撮影中、ラナの娘がラナの当時の愛人を殺してしまったのです(コラムVol.608をご参照)。スキャンダルによって映画は大ヒットしましたが、真の評価は何処へ?折角良い作品だったので残念です。
 ジョンがラナの次に共演したのが、やはり年上の女優ジャネット・リー。作品はスリラーの巨匠アルフレッド・ヒッチコック監督の『サイコ』でした。あまりに有名なこの作品のオープニングでジョンはジャネットと昼下りの情事からスタート。そしてスーザン・ヘイワードとの『裏街』へと続くのでした。純愛路線でデビューしたのも束の間、いつの間にか不倫路線に方向転換させられてしまいました。

 もともと俳優志願で無かったジョンは、30代になるとハリウッドの俳優組合の仕事をしたり、俳優を引退してからはメキシコの大使にも任命された事を今回の訃報記事で初めて知りました。
 私の想像以上に広く活躍した人だったようです。ジョン・ギャビンのご冥福をお祈りいたします。

天野 俊哉


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