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OUR MASTER : 佐々木 隆子
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Vol.1380 生誕100年ディジー・ガレスピー〜モダン・ジャズ界最高のトランペッター
 《モダン・ジャズ界最高のトランペッター》なんて書くと「そりゃマイルス・デイビスの方でしょう!」と反論されるかも知れませんが、あくまで生誕100年のお祝いコラムですからね。

 私とディジーの出会いは最悪でした。
 友人なんですか?
 まだ、グレン・ミラーやベニー・グッドマンらスイング・ジャズに傾倒していた頃、ぐっと年上の友人のお宅での16o映写会でした。
 変な形のトランペットを持った男性ディジー・ガレスピーの演奏場面、物凄くほっぺをふくらませてプレイをする姿に唖然。
 知らない曲だし、延々と10分以上続くのですから!ちなみに、次に登場したのがゼロニアス・モンクでした。この日以来、彼らに苦手意識を持つようになりました。

 やがて、このタップの世界に入り、スイング・ジャズにも飽きてきた頃、仲間の向井雅之さんが振付してるモダン・ジャズの曲に興味を持ちました。それが偉大なるチャーリー・パーカー。
 ナショナル・タップ・デーのリハーサル会場で知り合った渡辺かずみさんの“Night in Tunisia”、松本晋一さんが振付して東京リズムボーイズが踊った“Groovin High”がえらくカッコいい!
 これがどちらもディジー・ガレスピーの曲でした。「何だ!良いじゃないディジー!」と一気に目覚めましたよ私は。そう、1990年代にはモダンジャズの曲でタップを踏むことが多かった様です。ファッションも今よりキザってました。

 ビ・バップというスタイルでスイング・ジャズ界に殴り込みをかけて一世を風靡したチャーリーとディジー。この2人がコンビを組んでいた1945年頃の演奏がやはり好きです。
 先の2曲に加え“Salt Peanuts”“Bebop”等、バリバリのバップ演奏にハマりました。ただ、私がディジーに注目をした最大の理由はビッグバンド活動で、タッド・ダメロンの様な優れたアレンジャー、さらにはミルト・ジャクソンやレイ・ブラウンの様な素晴らしいプレイヤーがおりました。
 運のよいことにこれらのプレイヤーが在籍していた1947年製作の『Jivin in Be Bop』という60分ほどの映画が残されています。ラルフ・ブラウンの渋いタップ・ダンスも観れるのでオススメいたします。現在ではYouTubeで簡単に視聴出来ますよ。1948年にはコンガの名手チャノ・ポゾを招きCuBopなるスタイルで“Manteka”という大ヒット・ナンバーを作りましたが、才能と共に血の気も多かったチャノ・ポゾは街のチンピラとの喧嘩であっという間に死んでしまいました。彼の死でこの時期のディジーのビッグ・バンドは終わったそうな。
 私が知っているディジーガレスピーの活躍は残念ながらここまでです。

 ディジー・ガレスピーと言えばバップ眼鏡に山羊髭、ベレー帽を被ったりの奇抜なファッション・センスが話題になったりもしました。また、クリント・イーストウッドが監督・製作したチャーリー・パーカーの音楽と生涯を描いた自伝映画『バード』(1988)でも描かれていましたが、人気を得るため道化に徹したディジーは、多くのジャズ仲間、ジャズ・ファンの反感をかっていたそうですね。ジャズ・プレイヤーはチャーリーや、マイルスの様にクールであるべき!と思っている人が多いのでしょう。

 私には、どうしてあのトランペットは変に曲がっていたのか?どうしてあんなにほっぺをふくらませてプレイしていたのか?が、永遠の謎であります。

 若いタップ・ダンサーの方が私達の様にディジー・ガレスピーの曲でステップを踏んでくれます様に!

<まさかの『バード』トリビア>
・作品名の“Bird”はパーカーの愛称
・チャーリー・パーカーを演じたフォレスト・ウィテカーは、本作品でカンヌ国際映画祭男優賞を受賞した
・ディジー・ガレスピーを演じたのは、私がリズム劇場で着ぐるみを着て演じた、ディズニー映画『リトル・マーメイド』(1989)のカニのセバスチャン役のサミュエル・E・ライト
・サミュエルは同作品で歌唱した、Y's発表会でもお馴染み“アンダー・ザ・シー”でアカデミー歌曲賞を受賞。2015年からセバスチャン名義でちゃっかり活動中

天野 俊哉


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