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Vol.1351 ミュージカル『アニー』審査員の頃
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淺野康子さんが今年の『川崎タップダンス・フェスティバル』のソロ・パフォーマンス部門の審査員を務めたそうです。
こんな経験なかなか出来ないのに、どんな感じだったのか?コラムで読みたかったですよね、皆さん。
でも、そんな謙虚なあたりがいかにも淺野さんらしいですな。
さて、淺野さんと逆で全く謙虚でない私は、過去にミュージカル『アニー』での審査員コラムを書いてY'sサイト管理人さんに送ったのですが、何故か掲載されませんでした。
内容が過激過ぎたのか?時期が早すぎたのか?わかりませんが、その審査員経験からかれこれ25年も過ぎましたので、今度はやわらかく書いてみようか、と思います。
私達の師匠である佐々木隆子先生がミュージカル『アニー』でタップ・ダンス指導をスタートしたのが、ちょうど30年前の1987年。
毎年、アニー役をはじめ22名を選ぶオーディションが行われています。涙と感動のオーディション風景は、日本テレビの特番で一度はご覧になっているはずです。
私は先生の代理で1991年と1992年のオーディションの半分と、担当者として1993年のオーディションに参加しましたが、タップ・ダンスの審査だけでなく、歌や芝居の審査も参加するハードな審査員でした。繰り返し繰り返し子供達の“トゥモロー”の歌を聴かされ続けるので、感覚が麻痺してきます。
日本テレビの『アニー』で選ばれる孤児役の女の子達は非常にお上品で、よく集めてきたな!という位の美少女集団でした。
ある年の事、演出家の先生がスタッフの審査段階で、「この物凄く痩せた子と黒人のハーフの子を選びたい」と発言しました。
まず、痩せている方が「いかにも孤児に見えるから」、また肌の色の黒い孤児だって「いるに違いないから」とその理由を。
「なるほどおっしゃる通り!」と私などは思いましたが、その場に居合わせたスポンサーからNOが出てしまい却下されてしまいました。最近、アメリカの『アニー』映画で黒人のアニーが登場して素晴らしかった事を思うと演出家の先生には先見の明があった訳ですね。
主役のアニー役をはじめ各役柄の候補者が十数名に絞られてきた段階になったある年の事。アニー役候補がパッとせず、逆に確か活発なケイト役かテッシー役候補の中に「面白い子がいる」と演出家の先生。
演技のテストで「さあ、近くの子とケンカをはじめてください!」と指示が出された時に一人だけ相手が居なくて余った女の子だったので私も覚えていました。一瞬「どうしよう?」という表情を見せたあと何とひとりでケンカをはじめたのです。
「この子は必ず人と違う事をするから」とも説明されてました。
結局、アニー役候補にチェンジした挙げ句、その年のアニー役に選ばれました。
そんなアニーと共に台詞も出番も多いのが最年少のモリー。ある年、もう見るからにモリー!というとても小さな子がいて、全会一致で合格したのですが、大変だったのはそれから。その年からアニー以外の全員がタップを踏む事になったからです。そう、モリーが覚えられなかった!見かねた隆子先生が彼女の保護者に「いいですか?お母さんが覚えて下さい!」とステップを教えたのには笑った。
その後、10代で劇団四季のミュージカルで活躍する事に。さらに、お母さまに手をひかれて付いてきていた彼女の弟さんも舞台ミュージカルのスターとして活躍中とか。
タップ・ダンスの上手い下手で合格する事は少ないのですが、演出家の先生からタップをメインで踏む役に「どの子が良いですか?」と聞かれた事があり、当然の事ながら後々指導しやすい上手い子を選びました。
ちなみにダブルキャストのもうひとりは全くタップが踏めませんでした。
確かにスタートは上級者と初心者でした。
ところが、演出家の先生が選んだ子はのろまな亀ながらゆっくりですが上達してゆきました。初日を迎え、舞台でタップを踏む姿はキラキラ光り輝いていました。逆に、私が選んだ方の子は舞台では全く輝かず、オーディションの時と変わらずでした。
実は隆子先生もこうした選択では同じ失敗をしていました。難しいですね。
最後に、こうした審査員を担当して私が一番辛かったのが審査発表でした。何せほとんどの子が落選して行くからです。隆子先生は落選して泣き出す子供達を見ていつももらい泣きしていました。演出家の先生はその何百倍も辛かったはずです。
オーディションを受けに来る子供は全員アニー役を目指して来るのです。そして全員合格すると信じているのですね。
今でもあの落選していった大勢の子供達の事をよく思い出します。
まとまりが悪くなりましたが、今回はミュージカル『アニー』での私の審査員経験などを書いてみました。
写真 上段から
佐々木隆子先生。まだまだお元気だった1990年暮れ
グリーンの原色トレーナーを着たバブル時代の天野。1992年暮れ
審査もいよいよ大詰め
嵐の前の喜びの一瞬
頑張らなきゃ
天野 俊哉
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