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Vol.135 戦前松竹歌劇団の大スター水の江瀧子さん追悼
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戦前・戦中・戦後を通して日本のショービジネス界に大きな功績を残した、水の江瀧子さんが11月16日94歳で亡くなりました。水の江さんは既に生前葬をされていて、その葬儀委員長を務めたのが何と、水の江さんの1週間前に亡くなった森繁久弥さんでした。 水の江さんは、「ターキー」という日本中に知れ渡っていた愛称があるので、ここからはターキーさんと呼ばせていただきます。
ターキーさんのショービジネス人生は「男装の麗人」と言われたSKD(松竹歌劇団)のスター時代、1950年代の日活映画でのプロデューサー時代、テレビの司会などで活躍した時代の3つです。
<スター時代>
戦前のSKDでは男役を演じる人は長い髪をひっつめていましたが、ターキーさんはバッサリとショートに切って男役になりきりました。当時の雑誌を見ると、短い髪とスレンダーな体がとてもカッコ良く、日本中で人気のあったことが理解できます。1936年の松竹映画「男性対女性」では、SKDのショー場面にターキーさん本人の役で出演しており、全盛期のダンス・スタイルを観ることができます。
<プロデューサー時代>
「ねェ、ちょっとあの子イカすね」と、ターキーさんが映画界にスカウトしたのが、石原裕次郎、浅丘ルリ子、岡田真澄、津川雅彦さんら大スター達。また、石原慎太郎さんの小説「太陽の季節」の権利を、映画化のために買うよう主張したのもターキーさん。この小説が芥川賞を受賞する前のことで、日活の重役は軒並み反対したと言いますから、ターキーさんにいかに先見の明があったかがわかります。先日このコラムで追悼した南田洋子さんを「太陽の季節」に抜擢したのも、ターキーさんでした。
<テレビ時代>
ターキーさんと言えばNHKのクイズ番組「ジェスチャー」司会が有名ですが、私がリアルタイムで観ていたのは、ターキーさんが宮城千賀子さん、丹下キヨ子さんと3人で司会をしていたテレビ朝日の「独占!女の60分」でした。1980年7月には、私の師匠も取材を受け出演しました。
ターキーさんは20年前に「女の自叙伝・ひまわり婆っちゃま」を出版、さらに2冊のインタビュー本を出しています。「ターキー放談・笑った泣いた」「みんな裕ちゃんが好きだった」というタイトルで、今ではなかなか手に入りませんが、裕次郎さんや南田さんのプライベート写真がたくさん収められており貴重です。
私にとってのターキーさんは、男装の麗人でも、凄腕プロデューサーでもなく、えくぼの可愛いおばあちゃまでした。
ターキーさんのご冥福をお祈りいたします。
天野 俊哉
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