|
|
| | |
|
|
|
|
| | |
|
Vol.1315 生誕100年轟夕起子〜ハナ子さん
|
|
轟と書いて「とどろき」と読みます。東急大井町線の等々力も「とどろき」ですね。最近めったに見ないお名前のひとつです。
轟夕起子さんは、戦前に宝塚歌劇団を卒業後、映画界で活躍されました。和服の似合う、ちょっぴりオカメ顔の方で、同時代に活躍した女優の原節子さんに似ています。
轟さんと原さんを知ってる人が見ると、それほど似ていませんが、轟さんと原さんを知らない人が見ると、物凄く似ています。
分かりづらい?ですね。
このお二人が共演した昭和18年の「若き日の歓び」という映画を初めて観た時に、私はお二人の区別がつきませんでした。このコラムを書くので、久しぶりに見直しました。多分、原さんもそう感じたのか?もしくは年上の轟さんに気をつかったのか?一番似合う髪型ではなく、髪をまとめてしまってます。えらく老けてみえるのはお気の毒。女優さんも苦労が多いのですね。
轟夕起子さんの代表作は何と2本もあります。
ひとつは黒澤明監督のデビュー作品「姿三四郎」で、姿三四郎のライバル村井半助の娘を演じました。お寺の境内で、轟さんが履いている草履の鼻緒が切れてしまい困っていると、通りかかった姿三四郎が直してくれる、という良い場面が印象的でした。和服姿が良くお似合いでした。
もうひとつの代表作が、昭和18年当時のご主人マキノ正博監督のミュージカル「ハナ子さん」です。
戦時中の東京都内のロケを含め、庶民の生活を描いた貴重な場面が多い作品です。轟さんの宝塚出身の強味を最大限に生かしたミュージカル・ナンバーは魅力的です。が、この程度の作品しか創れない国が何故アメリカに宣戦布告してしまったのか?
ポツンポツンと2階建ての家の中に平屋の家が並んだ風景は、私の幼少期の記憶とダブるのは、日本の庶民の生活は意味のない戦争で20年以上も後戻りしてしまった!という事を意味しているのですね。
そんなことばかり考えながら観てしまい、あまり楽しめませんでした。
マキノ正博監督の物凄く分厚い自叙伝を読んだことがありますが、轟さんとはたった10年だけの結婚生活だったそうです。確か、俳優の誰々と轟さんがデキた、みたいな赤裸々な事までが書かれてましたね。
高峰秀子さんと名作「細雪」に出演してはずなので、ぜひもう一度観てみたいものです。
今回は宝塚出身の女優、轟夕起子さんを取り上げました。
天野 俊哉
|
|
|
|
|
|
| | |
|
|
|