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OUR MASTER : 佐々木 隆子
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Vol.1276 生誕100年ディーン・マーチンそのA〜エンタテイナーとして
 フランク・シナトラと並ぶアメリカを代表するエンタテイナー、ディーン・マーチンが今年生誕100年を迎えます。

 ジェリー・ルイスとのコンビ解消後も沢山の映画に主演したディーンですが、ジョン・ウエインと共演したハワード・ホークス監督の「リオ・ブラボー」、マーロン・ブランドと共演したエドワード・ドミトリク監督の「若き獅子たち」、フランク・シナトラと共演したヴィンセント・ミネリ監督の「走り来る人々」を除くといまいちピンときません。俳優としては、あまり欲が無かったのかも知れませんね。

 では、歌手ディーン・マーチンとしてはどうだったのでしょうか?
 YouTubeでディーン・マーチンを検索すると実に甘ったるい歌声が聴こえてきます。フランク・シナトラは、バラード歌手ともジャズ歌手とも呼ばれて良いかも知れませんが、ディーンの場合は最後までバラード歌手もしくはムード歌謡歌手だった様に私は思います。
 右手にタバコを挟み、ブランデー・グラスを持ち、左手でマイクを持ち、半分酔ってふらついているのがディーンのスタイルで、フランク・シナトラと基本的に違ったのは、劇場でのコンサート歌手ではなく、お酒が飲めるナイトクラブの歌手でした。もうラスベガスなんてディーンの庭みたいなものでした。
 ジェリー・ルイスとのコンビ時代から“ザッツ・アモーレ”等のヒット曲は出しているものの、やはりソロ活動からのヒット曲が魅力的です。
“誰かが誰かを愛してる”
“ヴォラーレ”
“ローマの夕べ”
“スウェイ”
etc.
 大変な色男のディーンがこんなロマンティックな歌を聴かせたら、ほとんどの女性がうっとりしてしまい、世の男性からは恨まれてしまいそうですが、そこがディーンの利口な所で、そうなる前にすかさずボケをかまして笑いを取るのです。私は昔からディーンを《許せる色男》と呼んでいます。

 ずっとナイトクラブ歌手のイメージでディーンを見てましたので、確か1976年頃アメリカのプレイボーイ誌の日本版が発行される記念に、《ディーン・マーチン来日コンサートが決定!》なる記事には驚いたものです。
 結局、飛行機が苦手との理由で中止になりました。そう言えば、女性歌手のドリス・デイも飛行機嫌いが理由で来日しておりませんね。
 近年、若手歌手のマイケル・ブーブレがフランク・シナトラの曲と共に、ディーンのヒット曲を実に上手くカバーしているので興味のある方はYouTubeで聴いてみて下さい。

 今回は、今年6月に生誕100年を迎える歌手のディーン・マーチンを取り上げました。

天野 俊哉




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