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Vol.1275 生誕100年ディーン・マーチンその@〜ディーンとジェリーのコンビ時代
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フランク・シナトラと並ぶアメリカを代表するエンタテイナー、ディーン・マーチンが今年生誕100年を迎えます。
1946年、ハンサムで歌の上手いディーンは、お猿さんみたいなジェリー・ルイスとコンビを組みコメディ・チームとしてナイトクラブでデビューしました。やがて、劇場からテレビへ進出し、パラマウント映画と契約して全世界に知られる様に。日本でも、底抜けコンビとして有名で、その主演作品は大ヒットを記録しました。
私世代は映画館で鑑賞する機会がありませんでしたが、テレビの映画劇場ではそのほとんどの作品が放映されていました。
パラマウント映画のマークに続いて、ディーン・マーチン&ジェリー・ルイスの名前がユニークな似顔絵と共に登場する映画のオープニングからエンドマークに至るまでの全てが好きで、放映されるたびに何度も何度も繰り返し観たものです。
「底抜け艦隊」
「底抜けびっくり仰天」
「底抜けやぶれかぶれ」
など初期の白黒作品が特にお気に入りで、ミュージカル・ナンバーでは二人のタップ・ダンスもよく登場しました。
残念な事にたった10年で解散してしまいました。
私は長い間、ディーンがジェリーの単なる引き立て役レベルの人だったのかな?と思っていました。
というのも、彼等が主演した18本の映画におけるディーンには、笑いをとれる場面がほとんど無かったからです。美女を相手に甘くバラードを歌い、口説くだけの役でしたから。
近年、彼等の初期のテレビでのショー番組の多くがビデオやDVDで発売されたので私は初めてそれらを観てビックリしました。ジェリーと共にブラウン管せましと暴れまくるディーンのスピーディな動きがあまりに素晴らしかったからです。映画とは全く違って二人は対等に笑いを取っていましたし、ディーンが実に生き生きしていていました。
映画に進出して型にはまった役柄を与えられる様になってから、ディーンには精彩が無いばかりか、やる気も感じられなかったのにはここら辺の事情があったのかも知れませんね。
1956年に解散してからの二人には全く接点が無くなりました。ディーンからの一方的なコンビ解消でしたので、その後ジェリーから何度か交流を試みたのですが、ディーンの気持ちは頑なでした。私がテレビで彼等の映画を観ていた1970年代の映画雑誌には「相変わらず不仲だ」みたいなさみしい記事ばかりでした。
1980年代後半、ディーンは息子さんを亡くしました。ディーンはそのショックから芸能界を引退してしまい、全く人前に出なくなってしまいましたが、その頃からディーンの話相手になった唯一の人がジェリーで、ディーンの亡くなるまでその交流は続いたそうです。私達ファンがホッとするエピソードであります。
古いパラマウント映画の権利がややこしいせいで、ディーン&ジェリーの作品のうちビデオ発売されたのがほんの数本、DVDではオンデマンドを含めて数本という酷さです。
ただ、YouTubeでは字幕なしでの18作品全てとテレビショーの多くを観ることが出来るので、ひまつぶしに鑑賞しております。
つづく。
天野 俊哉
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