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OUR MASTER : 佐々木 隆子
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Vol.1212 生誕100年ヴァージニア・グレイ〜大スターにはなれなかったけれど
 今年、生誕100年を迎えるヴァージニア・グレイは、私が映画を観るようになって、早くに名前を覚えた女優さんの一人です。「ターザン紐育へ行く」「マルクス兄弟デパート騒動」等、中学生でもわかる程度の単純な娯楽映画のヒロインだったせいでしょうか。
 こんな綺麗な人なら、さぞかし大女優さんに違いない!と、当時は思いましたが、ハリウッドでは常にA級作品の助演格を中心に生涯150本もの映画に出演しているのに、私はヴァージニア出演作には殆どお目にかかれずに今日まで来ました。
 数年前、ハリウッド映画のキング、クラーク・ゲイブルがタップ・ダンスを見せる事で有名な「Idiots Delight」を初めて観た時(コラムVol.799をご参照)、ゲイブルの後ろで踊るコーラス・ガールの一人(一番背が高い)だったのでびっくりしました。
 近年、MGM映画の短編映画を集めた貴重なDVDが沢山発売されました。MGMではまずスタジオが契約した若手スターを、短編映画で試してから長編映画にスライドさせたのです。
 DVDの中で、ヴァージニアは2本のミュージカル作品に主演しておりました。1936年の「Violets in Spring」では、ジョージ・マーフィと素敵なタップ・デュエットを、1938年の「Billy Roses Casa Manara」では、リー・ディクソンと複雑なタップをこなしています。また、後にユニヴァーサル映画のミュージカルで大活躍するペギー・ライアンも共演しています。
 これらを観ると、MGMはヴァージニアをミュージカルで使おうと考えていたのかも知れません。が、MGMにはすでにエレノア・パウエルという背の高い女性タップ・ダンサーがおりましたので、残念ながらヴァージニアにミュージカル・スターとしてのチャンスは回ってきませんでした。
 MGMで「第三の影」等ドラマの助演をつとめたのち、1940年代半ばには、MGMよりも格下の映画会社に移り「炎の街」「凸凹闘牛の巻」等を経て、1970年代まで映画出演を続けました。天下のMGM映画が1940年代後半には没落し、多くのスター達が消えていった事を考えるとヴァージニアの選択は決して悪いものでは無かったのかも知れませんね。
 今回はヴァージニア・グレイを取り上げました。

天野 俊哉




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