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Vol.1163 ニューヨークのBLUE NOTEで夢のジャズ・ライブのはずが?
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かれこれ20年前になりますが、ライブハウス通いがマイブームだった1998年秋。ニューヨーク旅行の終盤、本場ブルーノートでジャズでも聴こうと、滞在中のホテルへの送迎つきツアーを予約しました。ホテルのロビーに夜の9時集合とのこと。
やがて、私のもとに日本語も話せる韓国人の添乗員さんがやって来ました。少し遅れて男性4人組が来ましたが、添乗員さんはこの《少し》というのが気に入らないらしい。きつい口調で彼らに時間厳守を言い渡しました。添乗員経験のある私はこのきつい口調にかなり驚きました。まあ、片言のせいもありますが、表情はまったくもって挑戦的。
マイクロバスに乗り込んだ添乗員さん、4人組、私の6人は夜の町を走りました。ワイワイ盛り上がっている4人組と感情を抑えず不機嫌な添乗員さんとのギャップが笑える。何かが起きそう!
さて、この晩はジャズでもフュージョン系のサックス奏者グローバー・ワシントン・ジュニア※の演奏。どんなプレーヤーか?よく知らないけど「ブルーノートに行ければ!」位の私にはちょうど良いです。開場前の賑やかさにも感激しました。
場内に入り、添乗員さんがエスコートしてくれたテーブルはグローバーが演奏するステージのサイドエリア。随分良い場所をゲット出来たものだ。添乗員さんブルーノートでは、かなりの顔なのでしょう。喜ぶ私達を見て初めて和かな表情を見せた添乗員さん。まさかこれが最初で最後の笑顔になるとは?
ご一緒した方々は九州で美容院を経営されてるマスター3人と、その方々の美容院に美容機器を卸しているメーカーの方だとか。つまりニューヨーク接待旅行だそうです。
かなりの大所帯を引き連れてきた、とメーカーさん。まず一番賑やかで今西康之さんみたいな方は日本のジャズ界で有名なポンタさんの髪を切っているAさん。寡黙でジャズ好きのBさん。初の海外旅行で全く食事が合わずお腹をこわしているCさん。メーカーさんも美容師さんも部外者の私に良くして下さったものの、全く記憶がないのがグローバーの演奏。黒人のプレーヤーか演奏している姿はかすかに。ほとんどが目の前で盛り上がる彼らの姿です。ちなみに、私の食事の支払いもメーカーさんがしてくださいました。凄く食べたのに!ご馳走さまでした。
さて、着席の際添乗員さんから半ば命令口調で言われたのは「アンコールが終わったらすぐ入口まで出てきてください!」との注意事項。多分聞いていたのは私だけでしょうが。
さて、ファースト・セット終了後にグローバーが一度楽屋に引っ込む際、今西さん似のAさん。立ち上がり握手を求めた。仕方なく、に見えましたグローバーはそれに答えてくれました。凄い行動力だ。
次に「グローバーのサインが欲しい!」とAさん。外人のウエイターさんにサイン用の紙をくれ、と「ペーパー・プリーズ」を連発。何と紙ナプキンを渡されました。「ノー、ノー、もっとグランド・ペーパー」と言うと確かにもっと良い紙が出てきました。結構通じるものですね。
「グローバー、サイン、サイン」を連呼していたAさんでしたが、結局グローバーからサインは貰えませんでした。
アンコール終了後、添乗員さんが待つ入口に向かうはずのAさん、凄い人混みのなか「楽屋までサインをもらいに行く」と宣言。止めても無駄、と思った私は取り合えず一人で入口まで行くと、怒り心頭の添乗員さんがいました。「他の人達はどうしましたか?」と。本当の事なんか言えない私は「お腹が痛いのでトイレに行くそうです」とやっとの嘘をつきました。ゴメンナサイ。
その後、険悪な雰囲気の車内で、一人ご機嫌のAさんから《Grover Washington, Jr.》と小さくサインをして貰ったグランド・ペーパーをコッソリ見せてもらいました。笑えた!
グローバー・ワシントン・ジュニアは、その1年後の1999年12月17日に心臓発作のため56歳の若さで亡くなりました。私はその事をつい最近知りました。変な日本人から握手やサインを求められた事がショックだったのか?どうか?今となっては分かりませんが。
おわり。
※グローバー・ワシントン・ジュニア
ニューヨーク出身。ジャズ・フュージョン界を代表するサックス奏者で“スムーズ・ジャズの父”として知られている。1982年に発表したアルバム「Winelight」の収録曲“Just the Two of Us”(邦題:クリスタルの恋人たち)が大ヒットし、グラミー賞ベストR&Bソング賞を受賞
天野 俊哉
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