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OUR MASTER : 佐々木 隆子
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Vol.1152 生誕100年記念ボブ・エバリー〜ビッグバンド時代の人気シンガー
 1940年代の人気シンガー、ボブ・エバリーが生誕100年を迎えます。
 ボブは、アルト・サックス奏者でバンド・リーダーのジミー・ドーシー楽団専属の歌手として有名でした。
 ボブはビング・クロスビーに似た歌い方をするバラード歌手。
 ジミーの弟で同じくバンドリーダーだったトミー・ドーシー楽団のフランク・シナトラの強力なライバルでもありました。
 ただ、世界に名を残したフランク・シナトラに対し、ボブの歌手としての不運は次のエピソードに集約されてると私は思っております。
 ある時、ジミーはラジオのディレクターから「その日残された放送時間の3分間で、楽団のスターであるボブ、女性歌手ヘレン・オコンネル、そしてジミーをフューチャーした曲を演奏して欲しい」とリクエストされました。
 ジミーがとっさに考えた演奏は、1コーラス目でボブのバラード、2コーラス目でジミーのアルトサックス、3コーラス目でヘレンのトーチソング(センチメンタルな片思いや感傷的な失恋の歌)というスタイルで、これが大当り。それからと言うもの、レコード会社も、ラジオ局もこのスタイルでの演奏を希望してきたのです。
 “Green Eyes”
 “Amapora”
 “Yours”
 “Tangerine”
 “Brazil”
 “Besame Mucho”

等、ジミー・ドーシー楽団のヒット曲全てが同じスタイルでアレンジされ、録音されました。
 この安定したスタイルが、ボブやヘレンの才能を伸ばす妨げになったはずです。
 というのも、フランク・シナトラは自分に向く、向かないに関係なくあらゆる歌曲を山のように歌い、歌手としての実力をつけたのにです。
 皮肉な事に、フランク・シナトラは「ボブ・エバリーがジミー・ドーシー楽団から独立するかも知れない!」という噂を信じ、先手を打つためトミー・ドーシー楽団から独立しました。そして世界に名を残す大歌手になりました。
 一方、ボブは独立よりも先に軍隊に取られてしまい、退役した頃にはビッグバンド時代が終わっていました。ソロ歌手としては残念ながら、成功しなかったそうです。
 ボブは大変ハンサムで、若き日のマリリン・モンローそっくりのヘレン・オコンネルと並ぶと、映画スター顔負けの見事なカップルぶりでした。この二人がジミー・ドーシー楽団に在団中に出演した2本のミュージカル映画「The Fleet's In」「I Dood It」が素敵でした。特に後者では、ボブが歌い、主演のエレノア・パウエルがタップを踊るプロダクション・ナンバー“So Long Sarah Jane”が記憶に残っています。
 今回は1940年代ビッグ・バンド時代の人気シンガー、ボブ・エバリーを取り上げました。

天野 俊哉




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