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Vol.1088 生誕100年記念オリヴィア・デ・ハビランド〜東京生まれのハリウッド女優
 この7月1日に何と100歳のお誕生日を迎えるオリヴィア・デ・ハビランドは、2度のアカデミー主演女優賞に輝くハリウッドを代表する名女優です。
 また、父親が戦前の東京で教師をしていた事からオリヴィアは東京で生まれました。
 オリヴィアは、1930年代から40年代初めにはワーナー映画のお姫様女優として主に娯楽大作で活躍、やがてドラマティックな作品で活躍する様になりましたが、彼女には常に不満タラタラな運命が付きまといました。
 以下、私が勝手に検証致します。
 《オリヴィアの不満その1》
 ワーナー映画の人気アクション・スター、エロール・フリンとコンビにさせられた。
 「海賊映画、戦争映画、西部劇ばっかりでうんざりだわ!」
 《オリヴィアの不満その2》
 ワーナー映画では、ドラマティックな作品のヒロイン役は総てベティ・デイビスに。
 「ベティったらエリザベス女王役を取りやがって」
 《オリヴィアの不満その3》
 代表作は「風と共に去りぬ」のメラニー役。
 「あれはヴィヴィアンの映画よ!」
 《オリヴィアの不満その4》
 実妹ジョーン・フォンテーンの方が先にアカデミー主演女優賞を受賞した。
「何であの娘がローレンス・オリビエやケイリー・グラントと共演するわけ!?おまけにヒッチコック監督作品だなんて!」

 以上私の想像ですが、オリヴィアさん100年のうち多分50年位はそう感じていた筈ですよ。
 やがてオリヴィアは専属契約を不満に思いワーナー映画と裁判で争い勝訴します。自分で脚本、監督、共演者等を選べる立場となったオリヴィアはアカデミー主演女優賞を狙い、1946年に「遥かなる我が子」で見事受賞してしまいます。
 さらに、3年後「女相続人」で再受賞をして妹ジョーンを抜き、同じく2度受賞のライバル達ベティ・デイビスやヴィヴィアン・リーに並んでしまいます。
 最近、初めてアカデミー主演女優賞を受賞した「遥かなる我が子」を観たのですが、「これでもか!」という位のくどいアカデミー賞狙いの脚本・演出で、エンドマークが出たときは感動を通り越して呆れてしまいました。
 ハリウッド映画女優史上最高齢を迎えたオリヴィア・デ・ハビランドさん。
 皆さんも是非この名前をご記憶下さいね。

写真 上から
・とても綺麗なオリヴィア。和暦でいうと大正5年生まれ
・エロール・フリンとフェンシングに興じるオリヴィア
・「女王エリザベス」(1939)でベティ(左)と対峙するオリヴィア
・1歳年下の妹ジョーン・フォンテーン(左)と
・「遥かなる我が子」でジョン・ランドと
・「2度受賞した人だけの特権よ」と言わんばかりに
 トロフィーの間から顔を出す笑顔のオリヴィア

天野 俊哉




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