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Vol.1005 バズビー・バークレー/舞踊場面監督その@
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「ミュージカル映画特集−ジャズで踊って」に関連した人物を取り上げる何の役にも立たないムダなコラムです。
「四十二番街」
「ゴールド・ディガーズ」
「フットライト・パレード」
「瀬川昌久先生が『振付:バズビー・バークレー(愛称バズ)』とおっしゃっているのに何でお前は舞踊場面監督なんだ!」と怒られそうですが、それで良いのです。
皆さん凄いでしょバズの仕事ぶりは!だってあれだけのレビュー・ナンバー盛り沢山の作品を、1933年の1年間で3作品も創作したのですよ。ドラマの部分は普通の監督が作っていますけど、バズのレビュー・ナンバー1作品4曲としても30分はゆうにありました。
映画会社のワーナーは多分薬打ってバズを働かせたんでしょう。ついには交通事故で人を死なせてしまいます。自分も大怪我をしたのでベッドに横たわったまま裁判に出廷。ハリウッドの凄腕弁護士ギースラー氏を付けられ無理矢理無罪にさせられました。すぐにスタジオに戻されナンバーの撮影を再開したそうです。
ああ地獄。
いささか気の抜けた「聖林(ハリウッド)ホテル」(1937)は事故のあとの作品ですね。
映画スタジオ・システムの凄さは日本でも同じです。
大映京都映画撮影所ではハニワの巨人が暴れる特撮&時代劇「大魔神」をやはり1967年の1年間に3作品製作しました。こちらもドラマの部分は普通の監督が作っていました。バズのレビュー・ナンバーと似ているのは、主役の大魔神が暴れるのが30分前後であった事、でも観客はその為に1時間もドラマを黙って観続けていた事。
バズのレビュー・ナンバー同様、「大魔神」の特撮場面もお見事でした。
つづく。
写真
・1936年から3年連続でアカデミー賞舞踊監督賞を受賞したバズビー・バークレー
・「四十二番街」で脚の角度や向きを入念に指示するバズ
・「フットライト・パレード」のコーラスガールズに指示するバズ
・「聖林ホテル」の公開当時の邦題は「映都万華曲」
天野 俊哉
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